アヘノバルブス家

アヘノバルブス家が奉献したネプトゥーヌス神殿のドミティウス・アヘノバルブスの祭壇の一部。プーシキン美術館収蔵

アヘノバルブス家ラテン語: Ahenobarbi)は、共和政ローマプレブス(平民)系ドミティウス氏族に見られるコグノーメン(家族名)。片仮名では、アエノバルブスとも表記される[1]。皇帝ネロに連なる家系である。

由来

スエトニウスによると、アヘノバルブス家の高祖はルキウスで、ある日彼が田舎からローマへ帰ろうとしていると、神々しい双子の青年がやってきて、まだ誰も知らなかったローマ軍の勝利を元老院と市民に伝えるよう命令された。彼らは自らが神であることを証明するため、ルキウスのあごひげを何度もなで回し、とうとう赤銅色に変えてしまったという。この特徴は代々伝わり、彼らはアヘノバルブス(赤髭)と呼ばれるようになった[2]

彼らは代々ルキウスかグナエウスのプラエノーメン(個人名)しか名乗らなかったという。ケンソルを2名出し、その後パトリキとなった[3]

メンバー

ティトゥス・スタティルス・タウルスもしくはグナエウス・ドミティウス・アヘノバルブスのもとの考えられる提督の墓の一部。アクイレイア国立考古学博物館収蔵
  • グナエウス・ドミティウス・アヘノバルブス (紀元前192年の執政官):一家からの初の執政官
    • グナエウス・ドミティウス・アヘノバルブス (紀元前162年の補充執政官)
      • ルキウス・ドミティウス(・アヘノバルブス):紀元前129年の元老院議員。登録トリブスはプピニア区。94年の執政官とする説もある[4]。恐らく紀元前122年の執政官の兄弟[5]
      • グナエウス・ドミティウス・アヘノバルブス (紀元前122年の執政官)
        • ルキウス・ドミティウス・アヘノバルブス (紀元前94年の執政官)
        • グナエウス・ドミティウス・アヘノバルブス (紀元前96年の執政官)
          • グナエウス・ドミティウス・アヘノバルブス:紀元前82年頃の北アフリカ担当プロマギストラトゥス(元政務官)[6]。アフリカへ逃れ大軍を集めたものの、グナエウス・ポンペイウスの追撃を受け敗死[7]
          • ルキウス・ドミティウス・アヘノバルブス (紀元前54年の執政官)
            • グナエウス・ドミティウス・アヘノバルブス (紀元前32年の執政官)
              • ルキウス・ドミティウス・アヘノバルブス (紀元前16年の執政官)

出典

  1. ^ 一例として岩波文庫版の『ローマ皇帝伝』
  2. ^ スエトニウス, ネロ, 2.
  3. ^ スエトニウス, ネロ, 1.
  4. ^ Broughton Vol.2, p.490.
  5. ^ Broughton Vol.3, p.23.
  6. ^ Broughton Vol.2, p.560.
  7. ^ プルタルコス対比列伝』ポンペイウス、10-12

参考文献

  • T. R. S. Broughton (1952). The Magistrates of the Roman Republic Vol.2. American Philological Association 
  • T. R. S. Broughton (1960). Supplement to The Magistrates of the Roman Republic. American Philological Association 
  • ガイウス・スエトニウス・トランクィッルス 著、国原吉之助 訳『ローマ皇帝伝 上下』岩波文庫、1986年。