スルタン・アフマド (ティムール朝)
スルタン・アフマド | |
---|---|
ティムール朝 サマルカンド政権 君主 | |
在位 | 1469年 - 1494年 |
死去 | 1494年 |
父親 | アブー・サイード |
テンプレートを表示 |
スルタン・アフマド(生年不詳 - 1494年、在位:1470年 - 1494年)は、ティムール朝サマルカンド政権の初代君主。後にムガル帝国を築いたバーブルは甥にあたる。
生涯
ティムール朝の君主アブー・サイードの長男。1469年に父が処刑されると後を継いだが、すでにアフマドの勢力圏はサマルカンドとその周辺だけとなっており、ヘラートをはじめとする地域はフサイン・バイカラが占めていたため、ティムール朝はサマルカンド政権とヘラート政権に分裂した。
アフマド自身は酒飲みであまり優れた人物ではなかったというが、下手な野心も無かったために特に目立った軍事行動は起こさず、ヘラート政権の求めに応じて友好関係を保つなどした。このため1494年にアフマドが死去するまでサマルカンド政権は平穏だったが、彼が死去するとたちまち後継者をめぐって内紛が起こり、それにつけ込まれてわずか6年後にシャイバーン朝のムハンマド・シャイバーニー・ハンに攻撃され、サマルカンド政権は崩壊した。
関連項目
ティムール朝サマルカンド政権君主 | |
---|---|
ティムール朝 | ティムール1370-1405 / ハリール・スルタン1405-1409 / シャー・ルフ1409-1447 / ウルグ・ベク1447-1449 / アブドゥッラティーフ1449-1450 / アブドゥッラー1450-1451 / アブー・サイード1451-1469 |
サマルカンド政権 | スルタン・アフマド1469-1494 / スルタン・マフムード1494-1495 / バイスングル1495-1496 / スルタン・アリー1496 / バイスングル(復位)1497 / バーブル1497-1498 / スルタン・アリー(復位)1498-1500 |
ヘラート政権 | フサイン・バイカラ1469-1506 / バディー・ウッザマーン、ムザッファル・フサイン1506-1507 |