チャールズ・ヴェーン (第3代ロンドンデリー侯爵)

チャールズ・ヴェーン
Charles Vane
生年月日 (1778-05-18) 1778年5月18日
出生地 アイルランド王国ダブリン
没年月日 (1854-03-06) 1854年3月6日(75歳没)
死没地 イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランドロンドン、パーク・レーン、ロンドンデリー・ハウス
出身校 イートン・カレッジ
称号
KG, GCB, GCH, PC
配偶者 (1) キャサリン・ブライ
(1812年没)
(2) フランセス・ヴェーン=テンペスト
(1865年没)

プロイセン駐箚公使
在任期間 1813年 - 1814年
元首 ジョージ3世

オーストリア駐箚大使
在任期間 1814年 - 1823年
元首 ジョージ3世
ジョージ4世
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第3代ロンドンデリー侯爵チャールズ・ウィリアム・ヴェーン英語: Charles William Vane, 3rd Marquess of Londonderry, KG, GCB, GCH, PC, 1778年5月18日 - 1854年3月6日)は、アイルランド出身のイギリスの軍人、政治家、貴族。初代ロンドンデリー侯爵ロバート・ステュアートと、その2番目の妻で初代キャムデン伯爵チャールズ・プラット(英語版)の娘であるフランセスとの間の一人息子。カースルレー卿の異母弟、ウィンストン・チャーチルの曽祖父にあたる。

生涯

ダブリンチャールズ・ウィリアム・ステュアートCharles William Stewart)として生まれ、イートン校で学び、16歳のときイギリス軍に中尉として入隊した。ステュアートは1794年にフランドルでの戦役に従軍し、1798年のアイルランド反乱の鎮圧で軍功を認められて、第5アイルランド竜騎兵連隊所属の中佐に昇進した。

2年後の1800年、ステュアートはキルケニー県のトーマスタウン選挙区でトーリー党から立候補してアイルランド議会庶民院 (enの議員に当選したが、ステュアートの議席の選挙区はその後2カ月でロンドンデリー県選挙区に変更された。彼は合同法が発効する1801年まで同議席を保持し、1801年から1814年まではロンドンデリー選挙区選出の連合王国庶民院議員となった。

軍歴

1803年、ステュアートは国王ジョージ3世の副官となり、4年後の1807年には戦争および植民地担当副大臣(英語版)(同大臣を兄カースルレー卿が務めていた)に任命された。彼は1808年から1809年にかけてのコルーニャ戦役(英語版)では騎兵大隊を指揮し、騎兵隊同士の衝突したベナヴェンテの戦い(英語版)では目覚ましい働きをした。1809年4月、ステュアートはアーサー・ウェルズリー中将(後の初代ウェリントン公爵)の高級副官(英語版)となって半島戦争に従軍し、ブサクの戦い(英語版)およびタラヴェラの戦い(英語版)で武名を高めた。彼は1810年にイギリス議会から感書を贈られ、1813年11月20日に第25軽竜騎兵連隊の司令官に昇進、また同年バス勲爵士となった。ナポレオン戦争の終盤に、ステュアートはベルリン駐在の特命全権公使となり、また大同盟諸国の軍事委員会の委員をも兼ね、クルムの戦い(英語版)では負傷している。

ステュアートは諸外国から多くの栄典・勲章を受けたほか、1814年にはアイルランドのドニゴール県ステュアーツ・コートおよびバリローンに由来する連合王国貴族ステュアート男爵(Baron Stewart)に叙せられた。同じ年にオックスフォード大学ケンブリッジ大学から名誉学位を受け、枢密院議員に加えられ、国王ジョージ3世の侍従長となった。また同じ1814年にオーストリア大使に任命されて同職を9年間務め、兄カースルレー卿とともにイギリス特命全権公使の1人としてウィーン会議に出席している。会議開催中のステュアートの不作法な振る舞いはウィーンの人々の注目の的であった。彼は大酒飲みで、娼婦のもとに通い詰め、公衆の面前で若い女性の体をさわったり、はては通りの真ん中でウィーンの御者を相手に決闘を始める始末だった(幸い、オーストリア官憲が止めに入った)。

ステュアートは1816年にロイヤル・ゲルフ勲章(英語版)を授与され、1820年2月3日に第10竜騎兵連隊の司令官になった。

結婚

ステュアートは1822年に異母兄カースルレー卿の死によって第3代ロンドンデリー侯爵を襲爵した。翌1823年に彼はダーラム州シーハム(英語版)に由来するヴェーン伯爵(Earl Vane)およびシーハム子爵(Viscount Seaham)に叙せられたが、これは2番目の妻フランセスが、第2代準男爵サー・ヘンリー・ヴェイン=テンペストの女子相続人であることに依拠した叙爵であった。

1819年にフランセスと結婚した後、ステュアートは王の認可を得て姓をヴェーンに変更し、炭鉱業で栄えるダーラム州シーハム・ホール(英語版)の領地を始めとする莫大な財産を持つ妻の財産を自分のものにした。ヴェーンはまた近郊の港湾都市サンダーランドに対抗してシーハムの町に港湾を建設した。さらにヴェーンは妻の財産を使って、ロンドンデリー侯爵家の本邸であるアイルランドのマウント・ステュアート(英語版)を改装し、ロンドンパーク・レーン(英語版)にある大邸宅ホールダーネス・ハウスを買い取り、ここをロンドンデリー・ハウスと名付けた。

ロンドンデリー侯爵は1823年からロンドンデリー県知事を務め、1842年にダーラム州知事となり、翌1843年には第2近衛連隊の司令官に就任した。1853年にはガーター勲章を授けられ、その翌年にロンドンデリー・ハウスで亡くなった。ダウン県ニュータウナーズ(英語版)にあるスクラボ・タワー(英語版)は、ロンドンデリー侯爵を顕彰するため1857年に建てられた。ロンドンデリー侯爵位は最初の妻との間に生まれた長男に引き継がれたが、ヴェーン伯爵位は2番目の妻との間に生まれた次男が相続した。

子女

最初の妻であった第3代ダーンリー伯爵ジョン・ブライの娘レディ・キャサリン・ブライとの間には息子を1人もうけた。

  • フレデリック・ウィリアム・ロバート・ステュアート(1805年 - 1872年) - 第4代ロンドンデリー侯爵。

2番目の妻であったレディ・フランセス・テンペスト=ヴェーンとの間には3男3女をもうけた。

  • ジョージ・ヘンリー・ロバート・チャールズ・ウィリアム・ヴェーン=テンペスト(1821年 - 1884年) - 第2代ヴェーン伯爵、後に第5代ロンドンデリー侯爵。
  • レディ・フランセス・アン・エミリー・ヴェーン=テンペスト(英語版)(1822年 - 1899年) - 第7代マールバラ公爵ジョン・スペンサー=チャーチルと結婚、ウィンストン・チャーチルの祖母。
  • アレクサンドリーナ・オクタヴィア・マリア・ヴェーン=テンペスト(1823年 - 1874年) - ロシア皇帝アレクサンドル1世の名付け子、第3代ポーターリントン伯爵ヘンリー・ドーソン=デーマーと結婚。
  • アドルファス・フレデリック・チャールズ・ウィリアム・ヴェーン=テンペスト(1825年 - 1864年) - 保守党政治家、庶民院議員。精神病に罹り、療養生活を送った。
  • アデレード・エメリーナ・キャロライン・ヴェーン=テンペスト(1830年 - 1882年) - 弟の家庭教師フレデリック・ロウ牧師と駆け落ちした。
  • アーネスト・マクドネル・ヴェーン=テンペスト(1836年 - 1885年) - 将校の地位を金で買い、後に懲戒免職となった。
ウィキメディア・コモンズには、チャールズ・ヴェーン (第3代ロンドンデリー侯爵)に関連するカテゴリがあります。
アイルランド議会
先代
ジョージ・ダンバー
ジェームズ・キアニー
庶民院議員(トマスタウン選挙区(英語版)選出)
1800年3月 – 5月
同職:ジェームズ・キアニー 1800年3月 – 4月
ウィリアム・ガーディナー(英語版) 1800年4月 – 5月
次代
ウィリアム・ガーディナー(英語版)
ジョン・フランシス・クラドック
先代
トマス・コノリー(英語版)
ティロン伯爵
庶民院議員(ロンドンデリー・カウンティ選挙区(英語版)選出)
1800年
同職:ティロン伯爵
次代
連合王国議会
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会
新設選挙区 庶民院議員(ロンドンデリー選挙区(英語版)選出)
1801年 – 1814年
同職:サー・ジョージ・リー準男爵(英語版) 1801年 – 1802年
ジョージ・ベレスフォード卿(英語版) 1802年 – 1812年
ウィリアム・ポンソンビー閣下(英語版) 1812年 – 1814年
次代
ウィリアム・ポンソンビー閣下(英語版)
アレクサンダー・ステュアート(英語版)
アイルランドの爵位
先代
ロバート・ステュアート
ロンドンデリー侯爵
1822年 - 1854年
次代
フレデリック・ステュアート
イギリスの爵位
爵位創設 ヴェーン伯爵
1823年 - 1854年
次代
ジョージ・ヴェーン=テンペスト
ステュアート男爵
1814年 - 1854年
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