トネレロ通り
座標: 南緯22度58分03秒 西経43度11分13秒 / 南緯22.967580度 西経43.187000度 / -22.967580; -43.187000
トネレロ通り(トネレロどおり、ポルトガル語: Rua Tonelero)は、ブラジル、リオデジャネイロ市内のコパカバーナ近傍に位置する街路。その名称はパソ・デル・トネレロの戦い(ポルトガル語版、英語版)に由来するものである。
コパカバーナの中心部に位置し、周辺地域の主要幹線道路のひとつとされるトネレロ通りは[1]、北東 - 南西に伸びる海岸線から500メートル (m) ほど離れた内陸側を並行する、全長1キロメートル (km) 足らず街路であり、東北端(南緯22度57分53秒 西経43度10分53秒 / 南緯22.964727度 西経43.181413度 / -22.964727; -43.181413)はカーデアル・アーコベルデ広場 (Praça Cardeal Arcoverde)、南西端(南緯22度58分11秒 西経43度11分26秒 / 南緯22.969813度 西経43.190492度 / -22.969813; -43.190492)はマヨル・バス・トンネル (Túnel Maj. Vaz) に接している。通りの半ばには、リオデジャネイロ地下鉄のシクエイラ・カンポス駅(ポルトガル語版)が位置している[2]。
トネレロ通り襲撃事件
1954年5月8日、トネレロ通りにおいて、当時、大統領ジェトゥリオ・ヴァルガスを批判する急先鋒であったカルロス・ラセルダ(ポルトガル語版)に対する暗殺未遂事件が起こり、この一件はトネレロ通り襲撃事件(ポルトガル語版)と称されるようになった[3]。
この事件は、共和国大統領ジェトゥリオ・ヴァルガスがその後8月24日に自殺し、政権が崩壊したことによって、歴史的重要性をもつことになった[3][4]。
脚注
外部リンク
全ての座標を示した地図 - OSM |
---|
全座標を出力 - KML |
|
- Rua Tonelero, 50 years later (ポルトガル語)
- O atentado da Rua Tonelero (ポルトガル語)
- "Crime da rua Tonelero" ainda gera dúvida (ポルトガル語)
- História mal contada (ポルトガル語)