ピーター・モリニュー
ピーター・モリニュー Peter Molyneux | |
---|---|
生誕 | Peter Douglas Molyneux (1959-05-05) 1959年5月5日(65歳) イギリス、サリー州ギルフォード |
国籍 | イギリス |
職業 | ゲームデザイナー |
受賞 | 大英帝国勲章 芸術文化勲章 |
テンプレートを表示 |
ピーター・モリニュー (Peter Molyneux、1959年5月5日 - )は、イギリス、ギルフォード生まれのゲームデザイナー、ゲームプログラマーである。
経歴
ベアウッド大学、サウサンプトン大学を卒業し、3つのコンピュータ関連企業を経て[要出典]、1987年ブルフロッグを設立。『ポピュラス』や『テーマパーク』、『ダンジョンキーパー』を制作。ライオンヘッドスタジオ(英語版)設立後に『ブラック&ホワイト』、『フェイブル』開発に携わる。現在は22Cans(英語版)に在籍。
初期
ピーター・モリニューのキャリアは、1982年にフロッピーディスクの配達・販売をすることから始まる。その中にはアタリやコモドール64向けのゲームも含まれていた。
彼の最初のゲームは『The Entrepreneur』というもので、設立されたばかりの会社を経営するといった内容のビジネスシミュレーションゲームだった[1]。1984年、『The Entrepreneur』を販売するために自費で数百部を用意し、ゲーム雑誌に広告を掲載する。ところが、ゲームの注文は2件しかなく、しかもそのうちの1つは彼の母親によるものだった。
この失敗によってモリニューはゲームデザインをやめ、Taurus Implec Limitedという、中東にベイクドビーンズを輸出する会社をLes Edgarと始める。コモドールはモリニューらのTaurusと、ネットワークソフトウェアを開発していたTORUSという企業とを勘違いし、Amiga10台を無償で提供することを持ちかける。モリニューは良心の呵責を感じながらもこれらを受け取り、Amiga向けのAcquisitionというデータベースを設計した。コモドールの誤解を解いた後にプログラムは販売され、それなりの成功を収めた[2]。
ブルフロッグ
データベースプログラムの開発で得た資金で、1987年、Les Edgarとともにブルフロッグを設立し[1] 、1989年に世界初のゴッドゲーム『ポピュラス』を発売、400万本を売り上げる[3]。
1995年、ブルフロッグのパブリッシャーであったエレクトロニック・アーツがスタジオを買収し、モリニューはエレクトロニック・アーツの副社長と顧問に就任する。
『ダンジョンキーパー』を最後にエレクトロニック・アーツを去り、1997年にライオンヘッドスタジオ(英語版)を立ち上げる。
ライオンヘッドスタジオ
600万ドルの私財を投じ、3年の開発期間を経て『ブラック&ホワイト』を2001年に発売する。
2006年にライオンヘッドスタジオはマイクロソフトゲームスタジオ(英語版)に買収され、モリニューはマイクロソフト・ゲームスタジオ・ヨーロッパのクリエイティブディレクターに就任。
2012年には『Fable: The Journey(英語版)』の完成後にライオンヘッドスタジオを離れることを宣言。ライオンヘッドの元CTO、Tim Ranceの設立した22Cans(英語版)に参加する[4]。
メディアにおいて
著名人かつ業界の第一人者として、モリニューはテレビ番組やビデオゲームに関する討論、ドキュメンタリーに多数出演している。
ディスカバリーチャンネルの『Rise of the Video Game』では、ウィル・ライト、シド・マイヤーと並んで、シミュレーションゲームの開発者として特集された。GameTrailersのウェブサイトでは、「Top Ten Game Creators」として認定されている。[5]
批評の上でも、あるいは商業的な部分においても成功を収めている彼のゲームだが、モリニューは開発中のゲームについて熱く語りすぎてしまうことがあると言われている。そしてゲームが発売されるときには、自身の語った野心的な展望の一部は姿を消していることがある。彼のこの傾向は『ブラック&ホワイト』に始まり、特に『フェイブル』のケースがよく知られている。開発中のインタビューでモリニューが語った多くの要素が2004年のリリース時に実装されておらず、この件についてモリニューは公式に謝罪した。
受賞・表彰
2004年、AIASのHall of Fameに殿堂入りを果たす。 2005年に大英帝国勲章を受章[6]。 2007年には芸術文化勲章 (en:Ordre des Arts et des Lettres) シュヴァリエを受章し[7]、サウサンプトン大学より名誉理学博士号が贈られる。 2011年、ゲーム・デベロッパーズ・チョイス・アワードにてLifetime Achievement (生涯功労賞) を受賞[8]。同年、2011 British Academy Video Games AwardsにてBAFTAフェローシップを受賞[9]。
人物
趣味はマウンテンバイクとロッククライミング。[要出典]また、大のテレビ嫌いである。曰く「常に情報の受け手側になるテレビには、全く興味がない」とのこと。(ポピュラスのすべて HIPPONSUPER編集部出版内 ピーター・モリニューへのインタビュー記事より)
ゲーム
ピーター・モリニューが開発に携わったゲーム
ブルフロッグ以前
- The Entrepreneur
- Druid 2
ブルフロッグ
- Fusion(英語版)
- ポピュラス シリーズ
- パワーモンガー 当時のプラットホームはAMIGA[要出典]
- シンジケート
- テーマパーク
- Magic Carpet(英語版) シリーズ
- Hi-Octane(英語版)
- Genewars(英語版)
- ダンジョンキーパー
ライオンヘッドスタジオ
22Cans
- Curiosity – What's Inside the Cube? (英語版)
- Godus
脚注
- ^ a b “Seeing next-gen games in black and white”. Red Herring (2001年4月5日). 2010年2月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年9月8日閲覧。
- ^ “[GDC 2011]あの間違い電話がなければ今でも豆を売っていたかも。業界の重要人物ピーター・モリニュー氏が「ポピュラス」を生み出せた秘訣(または幸運)とは?”. 4Gamer.net (4 March 2011). 08 September 2014閲覧。
- ^ “History of Lionhead Studios”. Lionhead Studios(英語版). 2012年1月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。8 September 2014閲覧。
- ^ “イギリスの奇才ピーター・モリニュー氏がMS直属のLionhead Studiosを退社。今後は独立系開発チームに在籍予定”. 4Gamer.net (8 March 2012). 08 September 2014閲覧。
- ^ “GT Countdown Video - Top Ten Game Creators”. GameTrailers (13 January 2009). 8 September 2014閲覧。
- ^ “ピーター・モリニュー氏が勲章を授与される”. 4Gamer.net (6 January 2005). 8 September 2014閲覧。
- ^ “フランス政府がピーター・モリニュー氏に勲章を授与”. 4Gamer.net (6 April 2007). 8 September 2014閲覧。
- ^ “Game Developers Choice Awards 2011表彰式レポート”. Game Watch (3 March 2011). 8 September 2014閲覧。
- ^ “ピーター・モリニュー、BAFTAフェローシップを受賞”. GameBusiness.jp (23 February 2011). 8 September 2014閲覧。
参考文献
- 「ポピュラスのすべて」HIPPON SUPER!編集部編 (JICC出版局、1991年)
関連項目
- Peter Molydeux(英語版) - ピーター・モリニューの名前をパロディに用いたTwitterアカウント。新たなゲームシステムのアイデアが投稿される場として知られる。
外部リンク
- ライオンヘッドスタジオ(英語)
- 22Cans(英語)
- 表示
- 編集