ファム・フン
ファム・フン Phạm Hùng 范雄 | |
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ファム・フン | |
生年月日 | 1912年6月11日 |
出生地 | フランス領インドシナ連邦 ヴィンロン省 |
没年月日 | 1988年3月10日 |
死没地 | ベトナム ホーチミン市 |
所属政党 | インドシナ共産党 ベトナム労働党 ベトナム共産党 |
在任期間 | 1987年6月18日 - 1988年3月10日 |
国家評議会議長 | ヴォー・チ・コン |
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ファム・フン(范 雄、ベトナム語:Phạm Hùng / 范雄、1912年6月11日 - 1988年3月10日)は、ベトナムの政治家。第2代ベトナム社会主義共和国首相を務めた。
経歴
ヴィンロン省生まれ。
1928年、南圻学生連合会、及び共産主義青年団に参加。1930年、インドシナ共産党に入党。1931年、フランス植民地当局により逮捕され、死刑判決を受けたが、後に無期懲役に減刑され、コンダオ島に収監された。
1945年、八月革命の勝利により釈放され、南部中央局委員として南方工作に従事。ジュネーヴ協定締結後の1954年、北ベトナムに呼び戻される。
1955年8月、ベトナム労働党第2期中央委員会第8回総会で、党政治局員に選出。1958年、書記局員に選出。1958年4月、副首相に任命された。1960年9月の第3回党大会において、政治局員、書記局員に再選。1965年4月6日より国家物価委員会主任を兼務し、1966年10月まで務めた[1][2]。
1967年、南ベトナムに派遣され、南部中央局書記兼南ベトナム解放軍政治委員に任命。1971年6月10日、第4期国会第1回会議において副首相に再任されなかったが、これは南部問題に専念するためと見られる[3]。
ベトナム戦争末期の1975年4月8日、サイゴン解放作戦(後にホーチミン作戦に改名)指揮部設置により、同政治委員に任命[4]され、南部解放を指導した。
1975年11月、「統一ベトナム問題政治協議会」に南ベトナム代表団団長として参加した。1976年2月、ベトナム全国選挙委員会副委員長に選出。同年7月、副首相兼国防委員会委員に任命。同12月、第4回党大会において、政治局員に再選され、序列第4位になる。
1980年2月、内相を兼任。1981年7月、閣僚評議会副議長(副首相)に任命。1982年3月、第5回党大会において政治局員に再選、序列第4位。1986年12月、第6回党大会において、政治局員に再選、序列第2位。
1987年6月、第8期国会第1回会議において、ファム・ヴァン・ドンに代わり閣僚評議会議長(首相)に就任。翌1988年3月10日、心臓発作により死去[5]。歴代ベトナム首相中で、最短の在任期間となった。
脚注
参考文献
- 「1971年のインドシナ」『アジア動向年報』1971年版、アジア経済研究所
- バン・ティエン・ズン『サイゴン解放作戦秘史』新日本出版社、1976年
- 木村哲三郎『ベトナム―党官僚国家の新たな挑戦』アジア経済研究所、1996年
関連項目
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ベトナムの首相・政府の長(1945年以降) | |
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ベトナム帝国 内閣総長 (1945年) | |
コーチシナ自治共和国 首相 / 大統領 (1946年 - 1948年) |
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ベトナム暫定中央政府(英語版) 首相 (1948年 - 1949年) | |
ベトナム国 首相 (1949年 - 1955年) |
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ベトナム共和国 首相 (1955年 - 1975年) |
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南ベトナム共和国 政府主席 (1969年 - 1976年) | |
ベトナム民主共和国 政府主席 / 首相 (1945年 - 1976年) | |
ベトナム社会主義共和国 閣僚評議会議長 / 政府首相 (1976年 - ) | |
代:代理 注1:ベトナム暫定中央政府副首相を兼任。 カテゴリ |
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