フランシス・ベアリング (初代準男爵)
初代準男爵 サー・フランシス・ベアリング Sir Francis Baring 1st Baronet | |
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トーマス・ローレンス画 | |
生年月日 | 1740年4月18日 |
出生地 | グレートブリテン王国・エクセター・ラークビーア |
没年月日 | (1810-09-12) 1810年9月12日(70歳没) |
死没地 | イギリス・イングランド・ケント・リー(英語版) |
称号 | 初代準男爵 |
庶民院議員 | |
在任期間 | 1784年 - 1790年 1794年 - 1796年 1796年 - 1802年 1802年 - 1806年 |
選挙区 | グランパウンド選挙区(英語版) ウィカム選挙区(英語版) カーン選挙区(英語版) ウィカム選挙区 |
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初代準男爵サー・フランシス・ベアリング(英: Sir Francis Baring, 1st Baronet、1740年4月18日 - 1810年9月12日)は、イギリスの銀行家、政治家。
五つの貴族家系として現存する英ベアリング家の初代にして、ベアリングス銀行の創設者として知られる。
経歴
1740年4月18日、ドイツ・ブレーメン出身の商人ジョン・ベアリング(英語版)とその妻エリザベス(旧姓ヴォウラー)の七男としてエクセターのラークビーア(Larkbeare)に生まれる[1][2]。ロンドンのベーム商店に送られてそこで商務を学んだ[2]。
1762年にロンドン・シティにおいて最古のマーチャント・バンク(英語版)ベアリングス銀行を創設した[3][4]。大英帝国の急速な拡大という時流に乗って、貿易商人たちの資金調達の手形の引受で大きな成功を収めた。1793年までにはロンドン最有力の引受業者に成長した[5]。18世紀末から19世紀初頭の対仏戦争(フランス革命戦争・ナポレオン戦争)ではイギリス戦時公債の最大の引受会社となった[6]。
銀行業の片手間に様々な活動を行った。王立取引所保険会社(英語版)やイギリス東インド会社の役員などを務めた[5]。また1784年から1806年にかけてはグランパウンド選挙区(英語版)(1784-1790)、ウィカム選挙区(英語版)(1794-1796,1802-1806)、カーン選挙区(英語版)(1796-1802)から選出されて庶民院議員を務めた[2][7]。野党ホイッグ党のアドバイザーを務めつつ、首相小ピットととも友人であった[5]。
1793年5月29日にグレートブリテン準男爵位「ロンドンのベアリング準男爵(英語版)(Baronet Baring, of London)」に叙されている[7]。
19世紀に入った頃に引退。銀行は長男トマス(英語版)、次男アレクサンダー(後の初代アシュバートン男爵)、三男ヘンリー(英語版)の3人が受け継いだ。これに伴って1807年には「ベアリング・ブラザーズ」と社名を変更している[6]。
フランシスは1810年9月12日にケントのリー(英語版)で死去[7]。準男爵位は長男トマスが継承した。
家族
1767年にウィリアム・ヘリングの娘ハリエットと結婚し、彼女との間に長男トマス(英語版)、次男アレクサンダー、三男ヘンリー(英語版)ら5人の息子と5人の娘を儲けている[7][2]。
長男トマスは準男爵位を継承し、その子孫はノースブルック男爵を得た。次男アレクサンダーはアシュバートン男爵位を受けている。三男ヘンリーの家系からはレヴェルストーク男爵家、クローマー伯爵家、グレンデールのホウィック男爵家の3家が出ている。
脚注
注釈
出典
- ^ Lundy, Darryl. “John Baring” (英語). thepeerage.com. 2015年2月28日閲覧。
- ^ a b c d Courtney, William Prideaux (1885). "Baring, Francis (1740-1810)" . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 03. London: Smith, Elder & Co.
- ^ 山口(2005) p.215
- ^ リーソン(1997) p.35
- ^ a b c 田中(2008) p.2
- ^ a b 田中(2008) p.3
- ^ a b c d Lundy, Darryl. “Sir Francis Baring, 1st Bt.” (英語). thepeerage.com. 2015年2月28日閲覧。
参考文献
- ニック・リーソン 著、戸田浩之 訳『私がベアリングス銀行をつぶした』新潮社、1997年(平成9年)。ISBN 978-4105346010。
- 田中文憲「ベアリングズの崩壊: マーチャント・バンキングの終焉」『奈良大学紀要』第36号、奈良大学、2008年3月、1-20頁、CRID 1050300533202398208、ISSN 03892204。
- 山口直彦『エジプト近現代史』明石書店〈世界歴史叢書〉、2005年(平成17年)。ISBN 978-4750322384。
関連項目
グレートブリテン議会(英語版) | ||
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先代 サー・ジョン・ラムスデン準男爵 トマス・ルーカス(英語版) | グランパウンド選挙区(英語版)選出庶民院議員 1784年 – 1790年 同一選挙区同時当選者 ジョン・コークス(英語版) | 次代 トマス・ウォレンス(英語版) Jeremiah Crutchley |
先代 ウィカム伯爵 サー・ジョン・ジャーヴィス | ウィカム選挙区(英語版)選出庶民院議員 1794年 – 1796年 同一選挙区同時当選者 ウィカム伯爵 | 次代 ウィカム伯爵 サー・ジョン・ダッシュウッド=キング準男爵(英語版) |
先代 ジョン・ジキル ベンジャミン・ヴォーン(英語版) | カーン選挙区(英語版)選出庶民院議員 1796年 – 1802年 同一選挙区同時当選者 ジョン・ジキル | 次代 ジョン・ジキル ヘンリー・ペティ卿 |
先代 ウィカム伯爵 サー・ジョン・ダッシュウッド=キング準男爵(英語版) | ウィカム選挙区選出庶民院議員 1802年 – 1806年 同一選挙区同時当選者 サー・ジョン・ダッシュウッド=キング準男爵(英語版) | 次代 サー・ジョン・ダッシュウッド=キング準男爵(英語版) トマス・ベアリング(英語版) |
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