マルグリット・ド・フランス (1158-1197)
マーガレット / マルギト Margaret / Margit | |
---|---|
イングランド王妃 ハンガリー王妃 | |
14世紀の写本に描かれたマルグリット | |
在位 | イングランド王妃:1170年 - 1183年 ハンガリー王妃:1186年 - 1196年 |
戴冠式 | イングランド王妃:1172年8月27日 ウィンチェスター大聖堂 ハンガリー王妃:1186年 セーケシュフェヘールヴァール |
出生 | 1158年 |
死去 | 1197年9月18日 エルサレム王国、アッコン、サン=ジャン=ダクル |
埋葬 | エルサレム王国、ティルス大聖堂 |
結婚 | 1160年 1186年 |
配偶者 | イングランド共治王若ヘンリー王 |
ハンガリー王ベーラ3世 | |
子女 | ウィリアム |
家名 | カペー家 |
父親 | フランス王ルイ7世 |
母親 | コンスタンス・ド・カスティーユ |
テンプレートを表示 |
マルグリット・ド・フランス(Marguerite de France, 1158年 - 1197年9月18日)は、フランス王ルイ7世と2度目の妃コンスタンス・ド・カスティーユ(カスティーリャ王アルフォンソ7世の娘)の娘。イングランドの共治王若ヘンリー王妃、後にハンガリー王ベーラ3世妃となった。英語名ではマーガレット・オブ・フランス(Margaret (Marguerite) of France)、ハンガリー語名ではマルギト(Margit)と呼ばれる。
異母姉にマリー、アリックス、同母妹にアデル(アデライード、アリスとも)、異母弟妹にフィリップ2世、アニェスがいる。
生涯
母コンスタンスが死去し、父ルイ7世がアデル・ド・シャンパーニュと3度目の結婚をした1160年、マルグリットはイングランド王ヘンリー2世の嗣子ヘンリー(後の若ヘンリー王)と結婚した。2人は2年前の1158年から婚約していたが、この年マルグリットは2歳、若ヘンリーは5歳であった。嫁資としてイングランドにヴェクサンが送られる予定だったが、正式な引き渡しが行われる前にヘンリー2世が勝手にヴェクサンを領有、ルイ7世の抗議を無視してショーモン城も乗っ取った[1]。1177年、若ヘンリー王との間に長男ウィリアムが生まれたが、早産で3日後に亡くなった。
1182年にウィリアム・マーシャルとの不倫が噂されたが、これは若ヘンリー王から絶大な信頼を得ていたマーシャルを妬んだ他の騎士の中傷によるものではないかという説がある。このことによりマーシャルは若ヘンリー王の元を去らねばならなくなるが、翌1183年、若ヘンリー王は死の床にマーシャルを呼び寄せ、自分の代わりに十字軍に参加するよう言い残して病死しており、いずれにせよ2人の間に不倫の事実はなかったと思われる[2]。
若ヘンリー王の死から3年後の1186年、マルグリットはハンガリー王ベーラ3世と再婚した。若ヘンリー王の死でヴェクサンはフランスへ返すことが決められていて、異母弟フィリップ2世は返還を要求したがヘンリー2世が拒否したため、ヴェクサンの領有権はフランスとイングランドの間に長く続く問題と化した。問題が解決したのは若ヘンリー王の弟リチャード1世とフィリップ2世が休戦を結び、リチャード1世がヴェクサンを返還した1195年である[3]。
ベーラ3世との間には子は生まれず、1196年に2番目の夫とも死別、翌1197年に巡礼の途中で自身も死去した。
なお、マルグリットの同母妹アデルはリチャード1世の婚約者であったが、ヘンリー2世が王妃アリエノールを幽閉した後にヘンリー2世の愛人になったとされ、嫁資だったジゾール(英語版)の領有問題もあり、ヴェクサン領有権と並んでフランス・イングランド間の争点であり続け、1191年、リチャード1世の即位後に婚約を解消している(リチャード1世はベレンガリア・オブ・ナヴァールと結婚)。それから4年後の1195年にアデルはフランスに帰されポンチュー伯ギヨーム2世と結婚した[4]。
脚注
- ^ 桐生、P106 - P108、P120、石井、P224 - P225、P244 - P245、ペルヌー、P147、P163。
- ^ 桐生、P193 - P194、石井、P320 - P321、ペルヌー、P214、ギース、P140 - P142。
- ^ 桐生、P200 - P202、P267 - P268、石井、P328、ペルヌー、P224。
- ^ 桐生、P179 - P180、P229 - P230、P266 - P268、石井、P269、P312 - P313、P343 - P345、P374 - P375、ペルヌー、P224、P257 - P258。
参考文献
- 桐生操『王妃アリエノール・ダキテーヌ -リチャード獅子王の母-』新書館、1988年。
- 石井美樹子『王妃エレアノール ふたつの国の王妃となった女』平凡社、1988年。
- レジーヌ・ペルヌー著、福本秀子訳『王妃アリエノール・ダキテーヌ』パピルス、1996年。
- フランシス・ギース著、椎野淳訳『中世ヨーロッパの騎士』講談社(講談社学術文庫)、2017年。
イングランドの王妃 | |
---|---|
ウェセックス朝 デーン朝 |
|
ノルマン朝 ブロワ朝 | |
プランタジネット朝 | |
ランカスター朝 | |
ヨーク朝 | |
テューダー朝 | |
ステュアート朝 | |
- 表示
- 編集
この項目は、イギリスの歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:イギリス/P:歴史/P:歴史学/PJ:イギリス・アイルランド)。 |
- 表示
- 編集