ミッチ・ジョーンズ
ロサンゼルス・ドジャース時代 (2009年6月17日) | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ユタ州ユタ郡 |
生年月日 | (1977-10-15) 1977年10月15日(46歳) |
身長 体重 | 6' 0" =約182.9 cm 215 lb =約97.5 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 一塁手、外野手 |
プロ入り | 2000年 MLBドラフト7巡目 |
初出場 | NPB / 2007年6月29日 MLB / 2009年6月16日 |
最終出場 | NPB / 2008年4月20日 MLB / 2009年6月29日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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ミッチェル・C・ジョーンズ(Mitchell C. Jones, 1977年10月15日 - )は、アメリカ合衆国ユタ州ユタ郡出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。
経歴
2000年のMLBドラフト7巡目でニューヨーク・ヤンキースに指名されて契約。2005年にはAAA級コロンバス・クリッパーズまで昇格し27本塁打、翌2006年も21本塁打を放つものの、メジャーへの昇格はならず、10月15日にフリーエージェントとなった。
2007年1月11日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約。傘下のAAA級ラスベガス・フィフティワンズでプレーしていたが、シーズン途中に右の長距離砲を求めていたNPBの北海道日本ハムファイターズに入団。ポジションは外野手であったが、日本ハムでは一塁手として起用されることが多かった。前年まで在籍した小笠原道大と新庄剛志の退団により激減したチーム本塁打数を補うために、また打線の中軸として期待されていたアンディ・グリーンの不振もあって、長打力不足を解消するための入団となったが、ドアスイングが直らず、懸念された三振の多い粗い打撃のみが目立ってしまう。そのせいもあって二軍生活が多く、結局球団史上初の連覇にはまったく貢献できなかった。それでも、9月18日に翌シーズンの契約が正式決定した。球団フロントは「日本の野球に慣れれば成績は上向く」と判断して、2年契約を打ち切らずに翌年の戦力構想に残すとしていた。
2008年はオープン戦から比較的好調を維持していたが、開幕直前に脇腹を痛めて二軍スタートとなった。その後、4月11日に一軍登録され、その日の対千葉ロッテマリーンズ戦(千葉マリンスタジアム)6番・左翼手で即先発出場し、2安打を放ち、更に決勝のホームを踏んだ。しかし、三振の多い粗い打撃が解消されることはなく、2年目もチームに貢献できなかった。
同年6月9日、球団から退団が発表され、事実上の解雇となった。同日アメリカへ帰国、ラスベガス・フィフティワンズに復帰した。その後、傘下のAAA級チームがアルバカーキ・アイソトープスに変更になったために移籍した。
2009年はAAA級でホームランを35本を放ち本塁打王を獲得した。また、同年にロサンゼルス・ドジャースでメジャーデビューを果たしている。
2010年はアトランタ・ブレーブス傘下のAAA級グウィネット・ブレーブスでプレー。7月30日、金銭トレードでピッツバーグ・パイレーツに移籍。移籍後はAAA級インディアナポリス・インディアンスでプレーした。
人物
応援歌はかつてのマイク・イースラーのものが受け継がれたが、イースラーは前所属のドジャース傘下のAAA級ラスベガス・フィフティワンズで打撃コーチを務めており、ジョーンズは訪日直前にイースラーから日本野球についてレクチャーを受けている。
二軍の本拠地であるファイターズ鎌ケ谷スタジアムでは自主的にグラウンドの水まきを行ったり、誰よりも熱心に練習に励んだりと、その人柄を見せていた。映画「インディ・ジョーンズ」の主題曲「レイダース・マーチ」に歌詞が充てられた応援歌も作られ、一軍では登場曲にこの曲を使っていた。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
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2007 | 日本ハム | 30 | 102 | 94 | 3 | 15 | 6 | 1 | 1 | 26 | 7 | 1 | 0 | 1 | 1 | 4 | 0 | 2 | 32 | 2 | .160 | .208 | .277 | .485 |
2008 | 8 | 27 | 27 | 2 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 0 | .111 | .111 | .148 | .259 | |
2009 | LAD | 8 | 15 | 13 | 1 | 4 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 6 | 0 | .308 | .400 | .385 | .785 |
NPB:2年 | 38 | 129 | 121 | 5 | 18 | 7 | 1 | 1 | 30 | 7 | 1 | 0 | 1 | 1 | 4 | 0 | 2 | 42 | 2 | .149 | .188 | .248 | .435 | |
MLB:1年 | 8 | 15 | 13 | 1 | 4 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 6 | 0 | .308 | .400 | .385 | .785 |
記録
- NPB
- 初出場・初先発出場:2007年6月29日、対オリックス・バファローズ10回戦(京セラドーム大阪)、6番・一塁手で先発出場
- 初安打・初打点:2007年6月30日、対オリックス・バファローズ11回戦(京セラドーム大阪)、4回表に近藤一樹から左翼線適時二塁打
- 初本塁打:2007年7月3日、対西武ライオンズ9回戦(札幌ドーム)、8回裏に小野寺力から左越ソロ
- 初盗塁:2007年7月13日、対東北楽天ゴールデンイーグルス13回戦(フルキャストスタジアム宮城)、2回表2死に二盗(投手:アダム・バス、捕手:嶋基宏)
- MLB
- 初出場:2009年6月16日、対オークランド・アスレチックス戦(ドジャー・スタジアム)、7回裏にロナルド・ベリサリオの代打として出場し、マイケル・ワーツの前に空振り三振
- 初先発出場:2009年6月19日、対アナハイム・エンゼルス戦(エンゼル・スタジアム)、9番・指名打者で先発出場
- 初安打:2009年6月23日、対シカゴ・ホワイトソックス戦(USセルラー・フィールド)、8回表にマット・ソーントンから左翼線へ二塁打
背番号
- 15 (2007年 - 2008年)
- 17 (2009年)
関連項目
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 個人年度別成績 M.ジョーンズ - NPB.jp 日本野球機構