モーレーシュヴァル・ピンガレー

モーレーシュヴァル・ピンガレーマラーティー語:मोरेश्वर पिंगळे, Moreshvar Pingale, 生年不詳 - 1689年3月11日

生涯

1683年、父モーロー・パント・トリンバク・ピンガレーが死亡したので、引き継いで宰相となった。

1689年2月、モーレーシュヴァル・ピンガレーはマラーター王サンバージーとともにムガル帝国軍にサンガメーシュワルで捕えられたのち、3月11日 に王とともにトゥラープルで処刑され[1]、その肉は犬の餌にされた[2]

脚注

  1. ^ Satara 3
  2. ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、pp.242-243

参考文献

  • フランシス・ロビンソン 著、月森左知 訳『ムガル皇帝歴代誌 インド、イラン、中央アジアのイスラーム諸王国の興亡(1206 - 1925)』創元社、2009年。 

関連項目

モーロー・パント・トリンバク・ピンガレー1674-1683 / モーレーシュヴァル・ピンガレー1683-1689 / ラーマチャンドラ・パント・アマーティヤ1689-1708 / バヒロージー・パント・ピンガレー1708-1711 / パラシュラーム・トリンバク・クルカルニー 1711-1713 / バーラージー・ヴィシュヴァナート1713-1720 / バージー・ラーオ1720-1740 / バーラージー・バージー・ラーオ1740-1760 / マーダヴ・ラーオ1760-1772 / ナーラーヤン・ラーオ1772-1773 / ラグナート・ラーオ 1773-1774 / マーダヴ・ラーオ・ナーラーヤン1774-1795 / バージー・ラーオ2世1796-1818