ルイス・フランシス
基本情報 | |
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国籍 | ドミニカ共和国 |
生年月日 | (1976-05-14) 1976年5月14日(48歳)[1] |
選手情報 | |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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フランシス・ルイス(Francis Ruiz, 1976年 - )[2]は、ドミニカ共和国出身のブルペン捕手、打撃投手、通訳、編成部国際交渉。中日ドラゴンズに所属する。
「ルイス・フランシス」と表記するのが一般的である。
経歴
ドミニカ共和国・エルセイボ(en)出身。17歳の時にカープアカデミー加入[3]。
1997年に来日。広島東洋カープの練習生として2年目が終わる1998年の秋[1]、球団スタッフとして採用され[4]、2006年までブルペン捕手を務めていた。
また、松田元が2軍の由宇球場の視察に訪れた際、当時はまだ片言ではあったもののルイスの日本語での挨拶が上手であり、ルイス本人も日本語の習得に積極的だったことから「球団が費用を出すから日本語学校に通って来い」との松田の鶴の一声によって、試合のない月曜日に広島市内の語学学校に3年間通学し、通訳兼任となった[1]。
広島在籍当時は月給約15万円ほどで、母国ドミニカ共和国には妻子もいたため30歳だった2006年オフ、一時は帰国を決意したが、その後中日ドラゴンズが選手を派遣していたドミニカ共和国のウィンターリーグの際、当時の中日コーチであった森繁和と長谷部裕との出会いがきっかけで[1]、2007年にドミニカ出身のサンティアゴ・ラミレスとフランクリン・グラセスキーを獲得した中日のブルペン捕手兼スペイン語通訳として再来日した[5][6]。
人物
ドラゴンズに入団したドミニカ人選手の相談役の役割も果たしている。
通訳兼任であるので、試合中はベンチに座っている。
ブルペン捕手として入団したが、2016年現在はブルペン捕手・通訳に加えて打撃投手も務めており、また球団編成部の国際渉外担当でもある[4]。
詳細情報
背番号
- 120 (2003年 - 2005年)
- 112 (2006年)
- 95 (2007年)
- 101 (2011年 - )
脚注
- ^ a b c d “1人4役 中日の"スーパー裏方"ルイス通訳は22歳で現役を断念…森繁和さんとの出会いが最大の転機”. 中日スポーツ. (2020年4月26日). https://www.chunichi.co.jp/article/47657 2021年6月21日閲覧。
- ^ Wayne Graczyk (2010年4月25日). “Perseverance pays off for ‘slashers’ Ruiz, Monna”. The Japan Times. https://www.japantimes.co.jp/sports/2010/04/25/baseball/perseverance-pays-off-for-slashers-ruiz-monna/#.WsstvJcuDIV 2018年4月13日閲覧。
- ^ “野球界を支える舞台裏の仕事人 中日ドラゴンズ球団職員 フランシス・ルイス 野球界を支える舞台裏の仕事人”. 週刊ベースボールONLINE (ベースボール・マガジン社). (2018年7月5日). https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=002-20180709-32 2021年6月21日閲覧。
- ^ a b “首位打者ルナ(中日ドラゴンズ)支える「ドミニカ人ブルペン捕手兼通訳」”. 現代ビジネス. 講談社 (2013年7月29日). 2018年4月13日閲覧。
- ^ 中日スポーツ:スーパー裏方・ルイス君 広島から引き抜き!!:ドラニュース - ウェブアーカイブ
- ^ ブルペン捕手兼通訳に前広島フランシス氏 - 中日ニュース : nikkansports.com(2009年6月10日閲覧)
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