ルーアン=リヴ=ドロワ駅

ルーアン=リヴ=ドロワ駅
駅舎正面
Gare de Rouen-Rive-Droite
所在地 フランスの旗 フランス
ルーアン
Gare - Jouvenet
Place Bernard-Tissot
北緯49度26分56秒 東経1度05分38秒 / 北緯49.4488696度 東経1.0940248度 / 49.4488696; 1.0940248
所属事業者 フランス鉄道線路事業公社(RFF)
フランス国鉄(SNCF)
所属路線 パリ - ル・アーブル線
アミアン - ルーアン線
ルーアン - ディエップ線
ホーム 4面8線
乗換 メトロ: テクノポール線、ジョルジュ・ブラック線
バス: 481113系統、Noctambus(夜行バス)
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ルーアン=リヴ=ドロワ駅(ルーアン=リヴ=ドロワえき、フランス語: Gare de Rouen-Rive-Droite) (訳:ルーアン=セーヌ川右岸の駅)はフランス国内のフランス国鉄(SNCF)路線網の一主要であり、この地方における中心的な駅の一つである。ルーアンの大通りの一つであるジャンヌ・ダルク通りの上手に位置する。幹線鉄道網とTER網の一部となっている。

歴史

かつての路面電車とヴェルト通り駅(1907年)
アール・ヌーヴォー形式の現駅舎正面

ルーアンの駅の歴史はパリ・ルーアン間の鉄道が開業した1841年に始まる。最初の駅はセーヌ川左岸に面するサン=スヴェール地区の船着き場に建設された。一番列車は1843年5月9日にルーアン・サン=スヴェール駅に到着した。この列車は8時にパリを出発し、12時56分にルーアンに到着した。公式の列車は15分遅くパリを出発した。到着場所において、ルーアン大司教枢機卿により路線に対する祝福が行われた。

1847年、右岸の現在の駅と同じ場所にヴェルト通り駅が開業した。ヴェルト通りの下に位置し、斜路を通ってアクセスしなければならず、また、2つのトンネルの間の200mしか離れていない空間に、ホームと2線の線路があるのみであった。この駅は能力とアクセスが不十分だったため、その建て替えについての公益宣言が1900年12月7日に出された。その後、駅は西部鉄道が国から買い戻した。1916年ベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレンはこの駅で死亡した。

1912年から、2本のトンネルの間の空間を拡げるための駅の拡張工事が始まった。工事の全期間に亘って、鉄道交通は維持された。建築家アドルフ・デルボーにより行われ、コンシデレ(Considère)、ペルナル(Pelnard)、カコー(Caquot)の研究オフィスによって研究された鉄筋コンクリートの構造が用いられた工事は、1924年までの12年間続いた。

アール・ヌーヴォー様式の新しい駅はガストン・ドゥメルグ共和国大統領の臨席に下、1928年7月4日に落成した。当初、西鉄道の駅若しくはヴェルト通り駅と呼ばれていた駅は、今日、リヴ=ドロワ駅と呼ばれている。高さ37mの時計塔がある。

1994年12月17日、メトロの開業と同時に乗換駅となった。

  • 37mの高さを有する駅の塔
    37mの高さを有する駅の塔
  • 落成記念のプレート
    落成記念のプレート
  • 1970年代に改装されたエントランスホールはロベール・サバリ(Robert Savary)がルーアンの栄誉を描いたフレスコ画で装飾されている。
    1970年代に改装されたエントランスホールはロベール・サバリ(Robert Savary)がルーアンの栄誉を描いたフレスコ画で装飾されている。

利用者数の変化

ルーアン=リブ=ドロワ駅の年間利用者数
  • 2000年 = 4,500万人(フランス国内24位)
  • 2004年 = 5,000万人(24位)
  • 2005年 = 5,200万人(24位)
  • 2008年 = 6,000万人(23位)

利用可能な鉄道路線

TGV

コライユ・アンテルシテ(Corail InterCités)

  • ル・アーブル - ルーアン=リヴ=ドロワ - パリ=サン=ラザール
  • ディエップ - ルーアン=リヴ=ドロワ - パリ=サン=ラザール

TER

駅のホームは2つのトンネルの間の低層部に位置している。エスカレーターがホームから駅本屋へ登る旅客を補助する。
  • ルーアン=リヴ=ドロワ - パリ=サン=ラザール
  • ルーアン=リヴ=ドロワ - イヴトー - ル・アーブル
  • ルーアン=リヴ=ドロワ - エルブーフ=サントーバン - カーン
  • ルーアン=リヴ=ドロワ - ディエップ
  • ルーアン=リヴ=ドロワ - アミアン - リール=フランドル

ルーアンにあるその他の駅

かつて、ルーアンには様々な鉄道会社が所有するいくつもの駅があった。

これらの駅のうち幾つかは、以下の20世紀初めのポストカードで見る事が出来る。

  • ルーアン・サン=スヴェール駅は、市中にあった最初の駅であり、路線がル・アーブルへ延伸されるまではパリ方面の発着に使われていた。1980年代初頭までは旅客列車の発着があったが、現在ではSernam(荷物輸送)のために使われている。
    ルーアン・サン=スヴェール駅は、市中にあった最初の駅であり、路線がル・アーブルへ延伸されるまではパリ方面の発着に使われていた。1980年代初頭までは旅客列車の発着があったが、現在ではSernam(荷物輸送)のために使われている。
  • ルーアン=マルタンヴィル駅(北駅)はかつて、アミアン-ルーアン線のターミナルだった。1867年に路線開通に合わせて建設され、1894年にこのポストカードに写されている駅舎へと建て替えられた。その後、駅舎は1980年代に解体された。
    ルーアン=マルタンヴィル駅(北駅)はかつて、アミアン-ルーアン線のターミナルだった。1867年に路線開通に合わせて建設され、1894年にこのポストカードに写されている駅舎へと建て替えられた。その後、駅舎は1980年代に解体された。
  • ルーアン-オルレアン線が発着していた、オルレアン鉄道の駅。まず、1883年に、ボワエルデュー橋のたもとにあるカルノ広場に建設された後、1894年にジュスト・リシュにより建て替えられた。駅は1944年に破壊され、現在は都市行政機関の用地となっている。
    ルーアン-オルレアン線が発着していた、オルレアン鉄道の駅。まず、1883年に、ボワエルデュー橋のたもとにあるカルノ広場に建設された後、1894年にジュスト・リシュにより建て替えられた。駅は1944年に破壊され、現在は都市行政機関の用地となっている。

接続

ヴェルト通り駅

1994年のルーアンメトロ(LRT。都心部が地下線であるため公式にメトロと呼称される)の開業と共に乗換駅が建設された。地下駅である。メトロ2路線の他、複数のバス路線が発着する。駅は多くの芸術作品で装飾されている。

  • メトロ
    • テクノポール線
    • ジョルジュ・ブラック線
  • バス

481113Noctambus

参考文献

  • L'Architecture, numéro 1, 15 janvier 1930
  • Michel Croguennec, Le Chemin de fer dans l'agglomération rouennaise de 1843 à aujourd'hui, numéro 17, (histoire(s) d'agglo). - Agglomération de Rouen, 2001 (ISBN 2-913914-27-6)
  • Patrice Macqueron et Pierre Nouaud, Rouennais des deux rives, 2006

関連項目

ウィキメディア・コモンズには、ルーアン=リヴ=ドロワ駅に関連するメディアがあります。

外部リンク

  • La gare de Rouen-Rive-Droite - フランス国鉄(SNCF)の運営するウェブサイトGares en mouvementにおける当駅のページ