ワムパム

ホンビノスガイとバイ貝で作られたワムパム

ワムパム(Wampum)とはアメリカ先住民が海の貝殻から作ったビーズ状の工芸品。北アメリカの北東部で作られ、歴史の記録や条約の締結、貝貨にも使われた。日本語表記ではウォンパム[1]。やワムプム[2]もある。

素材・形状

ワムパム・ベルト
ホンビノスガイの貝殻。貝柱の近くが紫色で、白い部分よりも価値があるとされる

ワムパムは、ナラガンセット語(英語版)で「クォーホグ」または「北のクォーホグ」と呼ばれるホンビノスガイから作られた[注釈 1][4]。貝殻はビーズに加工され、糸や皮革の紐を通して装身具や衣服の飾りにした。ビーズは円筒形で長さは約8ミリメートル、太さ約3ミリメートルで中央に穴が開けられていた。ホンビノスガイの貝殻は全体的に白く、貝柱の近くは紫色になっており、最も価値の高いワムパムは紫色の部分から作られた。白いビーズはワムピ(wampi)、紫のビーズはサキ(saki)とも呼ばれた[2]。ワムパムは一般に紐で結ばれ、ワムパム・ピーグまたはピーグ、ワムパム・ベルトとも呼ばれた[1][5]

ヨーロッパからの植民地人によってもワムパムが作られた。貝殻に厚みがある巻貝などを材料として、内側のピンクの部分を細長いビーズにした。このビーズはヘア・パイプと呼ばれて先住民も胸飾りなどに使った[2]

用途

イロコイ連邦の旗は、「大いなる法(英語版)」を記録したワムパム・ベルトを意匠としている

社会的な使用

北米大陸にヨーロッパ人が来る前には、先住民の国家が連合体を形成していた[注釈 2]。先住民の社会でワムパムは宗教的・社会的慣習による価値があった[1]。2024年現在のニューヨーク州北部やセントローレンスバレーに位置したイロコイ連邦は、ワムパム・ベルトを歴史の記録、条約の締結、特別な出来事の記録、贈り物として使った。伝承によれば、グレート・ピースメイカー(英語版)と呼ばれたワイアンドット族デガナウィダモホーク族ハイアワサが、部族間抗争を抑えるためにイロコイ連邦を結成した。モホーク族オナイダ族(英語版)オノンダーガ族(英語版)カユーガ族(英語版)セネカ族(英語版)の5部族で連邦が構成され、のちにタスカローラ族(英語版)が加わった。連邦の基本法である大いなる法(英語版)もワムパムに記録された[5]

先住民とヨーロッパ植民地人との合意のシンボルとなったワムパム。2つの紫の線は先住民と植民地人の船を表す

紫と白の2色を使ったカス・ウェン・サ(英語版)(kas-wen-tha)と呼ばれるベルトは、イロコイがヨーロッパからの入植者を歓迎するために使われた。「私たちは父と子ではなく兄弟のような関係になろう」という合意を表現しており、2つの紫の線は先住民と植民地人の船を指し、互いに邪魔をせずに並んで進むという意味があった[2]

貨幣

先住民はワムパムを富の象徴としても考えていた。ナラガンセット族がワムパムを生み出し、ロング・アイランドメトアック族(英語版)が大規模に生産した。これら海岸地域の先住民は、モホーク族をはじめとする内陸の集団の毛皮とワムパムを交換したり、貢物としてワムパムを贈ったりした。指導者は兵士に対する報酬としてもワムパムを与えることがあった。ワムパムは誰にでも作れるため貨幣鋳造権のような特権はなかった[6]

ヨーロッパからの入植による北アメリカ植民地でも、ワムパムは貝貨として使われた。植民地の草創期には植民地全土で流通し、ニューイングランド植民地群(英語版)中部植民地群(英語版)が流通の中心となった[1]。理由としては、(1) 鋳造された硬貨が不足していた。(2) 商品生産が増えたために媒介物の必要性が高まった。(3) デフレーション的な貨幣危機下で物価の暴落を防ぐ必要があった。(4) アメリカ先住民との一時的な共存関係があった、などの理由があった[7]

1627年にニューイングランド植民地でワムパムが使われ始め、オランダ西インド会社のイサク・ド・ラジェール(Issac De Rasieres)がプリマス植民地に導入した。これらのワムパムはロング・アイランドで作られたもので、先住民と植民地人の交易で貨幣として使われた。先住民はワムパムを武器、アルコール、衣類等と交換した。植民地人は先住民から手に入れたワムパムを、他の先住民とのビーバーの毛皮交易や、鹿肉、トウモロコシなどの交換に使った。また、ワムパムと引き換えに先住民の労働力や兵力も使った。土地の購入にもワムパムが使われ、1657年には植民地人がナラガンセット湾コナニィカット島(英語版)をワムパムで購入した記録がある[8]

先住民と植民地人の交易に使われていたワムパムは、植民地人同士の取引でも使われるようになった。 1637年のニューイングランドでは、ワムパグピーグは6個あたり1ペンスとして政府機関への支払手段に認められ、1641年に法定通貨となった。商品の購入、納税、労賃の支払いなどに使えるようになり、ニューネーデルラントニュージャージー植民地ペンシルバニア植民地なども同様の状況となった[9]。1660年代以降に植民地人の経済が自立していくにつれて先住民に依存する必要がなくなり、貨幣としてのワムパムは消えていった[7]

類似の文化

アメリカ大陸の大西洋岸では、古くから貝殻が装飾品だった。カリフォルニアの中部と南部にあたる地域では、小型のマクラガイ(英語版)が約9000年にわたって装飾に使われていた。また、マクラガイは16世紀から19世紀にかけて東岸部で貝貨としても使われた[10]

アメリカ大陸の太平洋北岸ではツノガイから作られたビーズも貴重とされ、貝貨としても使われた[11]ミゾコブシボラから作られる白いビーズの貝貨もあった[12]。ホンビノスガイの近縁にあたるアイスランドガイもクラムチャウダーなどの食用になるが貝貨にはならない[3]

脚注

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注釈

  1. ^ ホンビノスガイは先住民にとって食料としても重要だった。ニューイングランドの名物料理でもあるクラムチャウダーに使う貝と同種にあたる[3]
  2. ^ フロリダ州のセミノール族、ノース・カロライナ州やサウス・カロライナ州のチェロキー族チョクトー族、ニューヨーク州北部やセントローレンスバレーのワイアンドット族やイロコイ族が知られている[5]

出典

  1. ^ a b c d 浅羽 1991, p. 121.
  2. ^ a b c d モレゾーン 2023, p. 51.
  3. ^ a b モレゾーン 2023, p. 90.
  4. ^ モレゾーン 2023, p. 89.
  5. ^ a b c ジョハンセン 2009, p. 12.
  6. ^ 浅羽 1991, pp. 121–122.
  7. ^ a b 浅羽 1991, pp. 129–130.
  8. ^ 浅羽 1991, pp. 122–123.
  9. ^ 浅羽 1991, pp. 123–125.
  10. ^ モレゾーン 2023, pp. 51–52.
  11. ^ モレゾーン 2023, pp. 48, 52, 90.
  12. ^ モレゾーン 2023, pp. 89–90.

参考文献

  • 浅羽良昌「アメリカ植民地貨幣史論」『大阪府立大学経済研究叢書』第75巻、大阪府立大学経済学部、1991年7月、1-177頁、doi:10.24729/00016617、2024年3月8日閲覧 
  • 米国国務省国際情報プログラム局「先住民は今―2つの世界に生きる」『eJournal USA』、米国国務省国際情報プログラム局、2009年6月、2024年5月28日閲覧 
    • ブルース・E・ジョハンセン(英語版)『アメリカ先住民の統治理念と合衆国憲法』。 
  • ファビオ・モレゾーン 著、伊藤はるみ 訳『図説 貝の文化誌』紀伊國屋書店、2023年。 (原書 Moretzsohn, Fabio (2023), Shells A Natural and Cultural History 

関連文献

  • 阿部珠理 編『アメリカ先住民を知るための62章』明石書店〈エリア・スタディーズ〉、2016年。 
  • デヴィッド・グレーバー 著、藤倉達郎 訳『価値論 人類学からの総合的視座の構築』以文社、2022年。 (原書 Graeber, David Rolfe (2001), Toward an Anthropological Theory of Value: The False Coin of Our Own Dreams 
  • 武田淳「貝と人とのかかわり : 利用にみる地域資源と文化」『佐賀大学農学部彙報』第89巻、佐賀大学農学部、2004年3月、31-53頁、ISSN 0581-2801、NAID 110000452525、2020年8月8日閲覧 

関連項目

  • イロコイの経済(英語版)
  • 結縄
  • Two Row Wampum Treaty

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、ワムパムに関連するカテゴリがあります。
  • Wampum article, イロコイ・インディアン博物館(英語版)