ワリード2世
ワリード2世 الوليد بن يزيد | |
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ウマイヤ朝カリフ | |
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在位 | 743年 - 744年 |
出生 | 709年 |
死去 | 744年4月17日 |
子女 | ウスマーン、ハカム |
家名 | ウマイヤ家 |
王朝 | ウマイヤ朝 |
父親 | ヤズィード2世 |
宗教 | イスラム教スンナ派 |
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ワリード2世(709年 - 744年4月17日)は、ウマイヤ朝の第11代カリフ(在位:743年 - 744年)。大酒呑みの遊蕩児で、カアバ神殿の屋根で酒を飲んでやろうとメッカ巡礼をしたというほどの不心得者だった。在位1年4ヶ月で反乱が起り、首を打たれた。その首は槍に刺されて、シリア砂漠中の離宮からダマスカスに運ばれた。[1]
生涯
父は第9代カリフのヤズィード2世。第10代カリフ・ヒシャームの甥にあたる。743年のヒシャームの死で跡を継いだ。だがカリフとしての才能や器量に欠けていたため、744年に従兄弟のヤズィード3世に反乱を起こされて廃された。
血筋
初代カリフムアーウィヤ1世と第2代カリフヤズィード1世の女系子孫にあたる。
ムアーウィヤ1世ーヤズィード1世ーアティカ(ムアーウィヤ2世の姉妹)ーヤズィード2世ーワリード2世
ムアーウィヤ1世の外玄孫、ヤズィード1世の外曾孫となる。
脚注
- ^ 前嶋信次 (2000410). 千夜一夜物語と中東文化. 東洋文庫
参考文献
- アミール・アリ『回教史 A Short History of the Saracens』(1942年、善隣社)
- 前嶋信次『千夜一夜物語と中東文化』(2000年、東洋文庫)
関連項目
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ウマイヤ朝カリフ | |
後ウマイヤ朝アミール | アブド・アッラフマーン1世756-788 / ヒシャーム1世788-796 / ハカム1世796-822 / アブド・アッラフマーン2世822-852 / ムハンマド1世852-886 / ムンジル886-888 / アブド・アッラー888-912 / アブド・アッラフマーン3世912-929 |
後ウマイヤ朝カリフ | アブド・アッラフマーン3世929-961 / ハカム2世961-976 / ヒシャーム2世976-1009 / ムハンマド2世1009 / スライマーン1009-1010 / ムハンマド2世(復位)1010 / ヒシャーム2世(復位)1010-1013 / スライマーン(復位)1013-1016 / アブド・アッラフマーン4世1018 / アブド・アッラフマーン5世1023-1024 / ムハンマド3世1024-1025 / ヒシャーム3世1027-1031 |