久世広賢

久世 広賢(くぜ ひろかた、寛永17年(1640年) - 正徳2年7月17日(1712年8月18日))は、江戸時代中期の旗本。通称は五郎八、三郎右衛門。久世広当の次男。母は正室井上正就の娘。正室は鳥居忠春の娘。子に久世広隆、久世広貞、川勝広英継室。兄弟に内藤重頼室、久世広重(父に先立って没す)、久世広次(久世広之養子)、養女(大久保忠当の娘、石野氏照室)。

万治3年(1660年)12月23日に父の遺跡を継ぎ、寄合に列する。元禄11年(1698年)3月7日、領地を駿河国冨士郡、駿東郡のうちに移される。宝永4年(1707年)7月21日、隠居したのち岫山と号する。正徳2年(1712年)、73歳で没する。

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