今福虎孝
凡例 今福虎孝 | |
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時代 | 戦国時代 |
生誕 | 不明 |
死没 | 天正10年(1582年) |
別名 | 通称:善十郎[1] 官途:丹波守[1] |
主君 | 武田信玄→武田勝頼 |
氏族 | 今福氏 |
父母 | 父:今福友清[1] |
兄弟 | 虎孝、友久、昌和、昌常 |
子 | 善十郎[1] |
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今福 虎孝(いまふく とらたか)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏家臣。今福長閑斎の嫡男。
経歴
はじめ武田信玄に仕え、永禄4年(1561年)の第4次川中島の戦いに参戦する[1]。
元亀4年(1573年)4月の信玄の没後は勝頼に仕え、父の没後の天正9年(1581年)5月に家督を継ぎ、駿河久能城主となる[1]。
天正10年(1582年)2月、織田信長・徳川家康連合軍による甲州征伐が始まると、久能城は徳川軍の攻撃を受けて降伏・開城する[1]。追い詰められた虎孝は息子の善十郎と共に自刃した[1]。
脚注
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- ^ a b c d e f g h 柴辻俊六・平山優 『武田勝頼のすべて』 新人物往来社、p.221(2007)
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