千葉宗胤

曖昧さ回避 この項目では、鎌倉時代中期の武将について説明しています。江戸時代後期の千葉氏第37代当主については「千葉宗胤 (第三十七代当主)」をご覧ください。
 
凡例
千葉宗胤
時代 鎌倉時代中期
生誕 文永2年(1265年[1]
死没 永仁2年1月16日(1294年2月12日[1]
別名 千葉新介
官位 大隅[1](兼同国守護職[注釈 1]
幕府 鎌倉幕府
主君 将軍惟康親王久明親王
得宗北条時宗貞時
氏族 千葉氏
父母 父:千葉頼胤、母:千田泰胤の娘
兄弟 宗胤胤宗
胤貞胤泰、娘(石井忠成室)、娘(宇都宮公綱室)
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千葉 宗胤(ちば むねたね)は、鎌倉時代中期の武将鎌倉幕府御家人千葉氏第9代当主。第8代当主・千葉頼胤の長男。

概要

北条氏得宗家当主・鎌倉幕府第8代執権北条時宗より偏諱を受けて宗胤と名乗る[注釈 2]

元寇による負傷がもとで没した父・頼胤に代って宗胤は異国警固番役として九州に赴き大隅国守護[注釈 1]を与えられた。永仁2年(1294年)1月16日、30歳で死去。

千葉介家の本領千葉荘は、宗胤の嫡男胤貞が遠方の地にあったこと、また、若年でもあったことから、宗胤の留守を預かっていた弟・胤宗が実質的に領有する処となる。

宗胤は、父・頼胤から千葉介家の本領千葉荘を継承した他、母を介して祖父千田泰胤の領した千田荘や八幡荘・臼井荘および肥前国小城郡を継承しており[注釈 3]、宗胤の没後嫡男の千葉胤貞は千田荘を本拠として胤宗の子貞胤と千葉氏宗家の家督を賭けて争うが、貞胤が降伏した直後に自身が病没したため宗家復帰はならなかった。千葉氏宗家家督は、胤宗の系統が継承することとなる。

その後胤貞の子孫は千田氏として千田荘を領し、肥前国小城郡にあった次男・胤泰の子孫は九州千葉氏(肥前千葉氏)として存続した。

娘は下総国猿島郡石井郷の石井忠成に嫁いだと伝わり、宗胤の玄孫忠国肥前石井氏の祖となった。

画像集

  • 圓通寺山門(小城市)(佐賀県小城市小城町松尾3832)
    圓通寺山門(小城市)(佐賀県小城市小城町松尾3832)
  • 千葉宗胤夫妻墓(小城市)(円通寺門前、墓石は江戸時代住職建てる)
    千葉宗胤夫妻墓(小城市)(円通寺門前、墓石は江戸時代住職建てる)
  • 宗胤寺(千葉市)(千葉県千葉市中央区弁天4‐7‐23空襲により移転)
    宗胤寺(千葉市)(千葉県千葉市中央区弁天4‐7‐23空襲により移転)
  • 伝千葉宗胤五輪塔(千葉市)(宗胤寺墓所敷地外れ)
    伝千葉宗胤五輪塔(千葉市)(宗胤寺墓所敷地外れ)

脚注

注釈

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  1. ^ a b 在任期間は、弘安6年(1283年)~正応4年(1291年[1]
  2. ^ 得宗家は本来ならば将軍の下で一御家人という立場にありながら、烏帽子親関係による一字付与を利用して、他の有力御家人を統制したことが指摘されており、地域棟梁格の有力御家人であった千葉氏もその統制下にあった[2][3]。その統制の主体である烏帽子親、すなわち有力御家人が一字を賜る相手が将軍から得宗家へ移行したという見解も示されており[4][5](詳細は北条氏#北条氏による一字付与についてを参照)、泰胤北条泰時頼胤北条時頼宗胤胤宗兄弟が北条時宗胤貞貞胤北条貞時高胤北条高時から一字を拝領したと考えられる[6]
  3. ^ 弘安6年(1283年)12月には田一町を小城郡内円通寺に寄進している[1]

出典

  1. ^ a b c d e 岡田 1990, p. 392.
  2. ^ 菱沼一憲『中世地域社会と将軍権力』汲古書院、2011年。 
  3. ^ 肥前千葉氏調査委員会「「服部英雄 中世小城の景観・海から考える」」『中世肥前千葉氏の足跡 : 小京都小城の源流』佐賀県小城市教育委員会、2011年。hdl:2324/20437。CRID 1130282270956311040。https://hdl.handle.net/2324/20437 
  4. ^ 角田朋彦「偏諱の話」『段かづら』三・四、2004年。 
  5. ^ 山野龍太郎 著「鎌倉期武士社会における烏帽子親子関係」、山本隆志 編『日本中世政治文化論の射程』思文閣出版、2012年、163頁。 
  6. ^ 紺戸淳「武家社会における加冠と一字付与の政治性について : 鎌倉幕府御家人の場合」『中央史学』第2巻、中央大学、1979年3月、p.15系図・p.18、CRID 1570009752940858752、ISSN 03889440。 

参考文献

  • 岡田清一 著「千葉頼胤」、安田元久 編『鎌倉・室町人名事典』(コンパクト)新人物往来社、1990年。 

外部リンク

  • 房総の歴史 室町時代
月星紋千葉氏当主
宗家
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