大衡城

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大衡城
宮城県
大衡城跡公園
大衡城跡公園
別名 越路舘
城郭構造 平山城
築城主 大衡宗氏
主な改修者 大衡氏胤
主な城主 大衡氏
廃城年 1590年(天正18年)
遺構 、土塁跡
指定文化財 史跡等未指定[1]
再建造物 大衡城青少年交流館
位置 北緯38度27分41.65秒 東経140度52分48.23秒 / 北緯38.4615694度 東経140.8800639度 / 38.4615694; 140.8800639座標: 北緯38度27分41.65秒 東経140度52分48.23秒 / 北緯38.4615694度 東経140.8800639度 / 38.4615694; 140.8800639
地図
大衡城の位置(宮城県内)
大衡城
大衡城
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大衡城(おおひらじょう)は、宮城県黒川郡大衡村塩浪にあった日本の城平山城)。別名越路舘城跡は大衡城跡公園として整備されている[2]

概要

大衡村中央部の国道4号線および善川沿いの東側の高台で、船形山や大衡村・大和町の市街地を見渡せる絶景スポットに建つ大衡城は、「大衡城跡」、「大衡城跡公園」、「大衡城青少年交流館」、「大衡村の民俗資料館」と4つの意味のうちのどれか、もしくは複数の意味で呼ばれる。遺跡としては本来の大衡城の城跡としての意味がある。大手口は南側に存在していた。廃城の後に、城址公園として整備された。また、天守を模して造った建物は、大衡城青少年交流館で、民俗資料館として利用されている。公園及び周辺はソメイヨシノの名所として親しまれている。

沿革

  • 1544年(天文13年)黒川氏開祖の下草城主[3]だった黒川景氏の次子で治部大輔[4]の大衡宗氏が築城した。黒川郡大衡村塩浪にあって、越路舘(越路館)または、塩浪館(塩浪館)ともいわれていた。
  • 1590年天正18年)室町時代[5]中期より数世間、黒川郡北方の鎮に任じたが、大衡宗氏の子・大衡氏胤のとき、葛西大崎一揆豊臣秀吉奥州仕置によって所領を没収され滅亡した。
  • 以後、伊達政宗の所領になり、のちに廃城に帰した。延宝年中幕府に提出した仙台領古城書上に本丸東西38間(約68メートル)、同長さ102(約184メートル)、横12間、二之郭長さ65間(約117メートル)、横15間、本丸北方隠居舘東西25間、南北12間とあった[6]
  • 1968年昭和43年)10月 丸跡が城址公園として整備された。

現在の建物

大衡城青少年交流館[7]は、地区子供会の研修・村内外各種団体の会議・企業研修等に、宿泊でも日帰りでも利用できる。民俗資料展示室では、大衡村の歴史・昔の農具などを見ることができ、開館時間:9:00 - 16:30で、入場無料である。

  • 事業主体= 大衡村
  • 管理運営= 万葉まちづくりセンター
  • 所在地郵便番号= 981-3602
  • 所在地= 宮城県黒川郡大衡村大衡字塩浪4-2
  • 公式サイト=公式サイト・万葉まちづくりセンター

アクセス

周辺・近隣施設等

脚注

  1. ^ 「宮城県遺跡地図情報トップ」宮城県公式HP
  2. ^ 「大衡城跡公園」大衡村公式HP
  3. ^ 下草城は鶴楯城とも呼ばれていた。
  4. ^ 官位で、省の上次官。相当官位は正五位下。
  5. ^ 室町時代(1336年 - 1573年)
  6. ^ 現地にある大衡村教育委員会石碑による。
  7. ^ 大衡城青少年交流館

関連項目

外部リンク

  • 大衡城青少年交流館
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