山本健之
その他の「やまもとけんじ」の同名の人物については「Wikipedia:索引 やまも#やまもとけ」をご覧ください。 |
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基本情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
生年月日 | (1970-02-12) 1970年2月12日(54歳) | |||
出身地 | 広島県広島市安佐南区 | |||
ラテン文字 | YAMAMOTO Kenji | |||
身長 | 168cm | |||
選手情報 | ||||
所属 | 日本体育大学 | |||
役職 | 部長 | |||
ポジション | リベロ | |||
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山本 健之(やまもと けんじ、1970年2月12日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、現指導者。広島県広島市安佐南区出身。元全日本代表。妻は元三菱電機の実業団バスケットボール選手。次女の山本麻衣は東京オリンピック3人制日本代表にも選ばれたバスケットボール選手[1]。
来歴
小学校4年次からバレーボールを始める。1985年、県バレーの強豪・広島工業大学附属工業高校(現広島工業大学高等学校)に入学。1988年、日本体育大学に進学、1990年インカレ優勝に貢献。
その後日本たばこ産業に入社、JTバレーボール部(JTサンダーズ)に入部。小柄ながらレシーブ全般が得意で、リベロ制度ができる前からレシーバーとして活躍した。1994年Vリーグ開幕以降も、リベロとして引き続きチームに在籍した。
一方、1994年全日本に選ばれ、同年ワールドリーグ、同年世界選手権に出場。
2001年、黒鷲旗制覇に貢献。2002/03シーズンにはベストリベロ賞初受賞[2]。この活躍から再び全日本に選出され、2001年アジア選手権、2002年アジア大会、2003年ワールドリーグに出場した。
2005年6月に現役引退、その後は社業に専念[3]。
2009年に母校の日本体育大学男子バレー部監督に就任[4]、同年度全日本インカレ3位の成績をおさめた。現在は同校体育学部准教授、男女バレーボール部々長[5]。
2011年、監督として全日本インカレ準優勝に導く。
2015年、第28回ユニバーシアード(光州大会)では監督を務めた[6]。
関連項目
脚注
[脚注の使い方]
- ^ “山本麻衣、元Vリーグ選手の父からの助言が糧に けがが一番駄目「抜くときは抜け」/バスケ”. SANSPO.COM. (2020年6月21日). https://www.sanspo.com/article/20200621-77WAYJDR2ZPEBF5YVTBF56AOEQ/
- ^ 日本バレーボール協会公式. “第9回Vリーグ男子最終結果”. 2009年8月22日閲覧。
- ^ JTサンダーズ公式 (2005年6月). “山本健之選手と新川義雄マネージャーが勇退”. 2009年8月22日閲覧。
- ^ 月刊バレーボール 2010年2月号 116ページ
- ^ 日本体育大学女子バレーボール部. “メンバー紹介”. 2012年6月22日閲覧。
- ^ バレーボール(男子) - JOC
外部リンク
- 選手プロフィール(JTサンダーズ公式(Internet Archive))
- レシーブのフットワーク (PDF) (Coaching & Playing Volleyball59号)
- 「私のバレーボール人生を振り返って」 (PDF) (広島工業大学高等学校)
- 豪快アタッカーの影にリベロあり(2008年4月29日付スポーツニッポン)
- “闘将”荻野、“職人”津曲ら、男子バレーの守護神たちを紹介(スポーツナビ コラム)
- 日本体育大学公式サイト - 教員紹介
- 日本体育大学バレーボール部公式サイト
バレーボール全日本男子 - 1994 世界選手権 | |
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