山谷徳治郎
山谷 徳治郎(やまや とくじろう、1866年5月5日(慶応2年3月21日)[1] - 1940年(昭和15年)5月27日[2])は、日本の医師、政治家、衆議院議員(1期)、医学博士。兄は衆議院議員の山谷虎三[3]。長男は俳人・日新書院取締役の山谷太郎で、その次男が脚本家・演出家の倉本聰である[4]。
経歴
東京都出身[2]。岡山県医学校を経て、東京帝国大学医学部で内科及び病理学を専攻する[3]。1907年、ドイツに留学し、ギーセン大学とゲッチンゲン大学で学び、ドクトル・メジーネ(医学博士)を授けられる。帰国後は津山町(現・津山市)で病院を開業する。その後、大阪の病院の副院長、三共(資)理事、(株)日新医学社を創立、取締役社長となる。その他、医学雑誌や図書の出版に従事した[2]。
1925年の岡山7区の補欠選挙に立候補して当選する。当選後、立憲政友会に入り、衆議院議員を1期務めた。1928年の第16回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1940年死去。
脚注
参考文献
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。