彦部家住宅
彦部家住宅 | |
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長屋門 | |
所在地 | 群馬県桐生市広沢町六丁目877 |
位置 | 北緯36度22分24.8秒 東経139度20分53.8秒 / 北緯36.373556度 東経139.348278度 / 36.373556; 139.348278 |
類型 | 武家屋敷 |
形式・構造 | 入母屋造、茅葺(主屋) |
敷地面積 | 20,607.15平方メートル |
建築年 | 江戸時代初期(主屋) |
文化財 | 重要文化財(1992年8月10日指定) |
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彦部家住宅(ひこべけじゅうたく)は、群馬県桐生市広沢町にある歴史的建造物である。
昭和51年(1976年)5月7日に「彦部氏屋敷」の名で群馬県の史跡に指定され、平成4年(1992年)8月10日に「彦部家住宅」の名で重要文化財に指定された。
概要
桐生市広沢町の手臼山の麓に位置する。山裾以外の三方に土塁と堀を設け、南の大手口に長屋門、北の搦手口に櫓台を築いた中世の屋敷構えを残している。主屋や長屋門は江戸時代に建てられたものである。
彦部家は家蔵の「高階朝臣家譜」によると、天武天皇の長子である高市皇子を祖とする。高市皇子から六代目で臣籍降下し高階姓となり、高階氏は鎌倉時代に陸奥国斯波郡彦部郷に移り、彦部姓を名乗った。室町時代に彦部氏は足利将軍家に仕え、永禄4年(1561年)に広沢の地に屋敷を構えたと伝わる。
建造物
主屋・長屋門・冬住み・文庫倉・穀倉の5棟と土地20,607.15平方メートルが重要文化財に指定されている。一般公開は土曜日・日曜日・祝日の午前10時から午後4時までとなっており、平日や団体20名以上は予約が必要となる。
- 主屋[1]
- 長屋門
- 寄棟造・茅葺。18世紀の建築と推定される[1]。
- 冬住み(隠居屋)
- 寄棟造・茅葺。19世紀前期の建築と推定される[1]。
- 文庫倉
- 土蔵造・切妻造・鉄板置屋根。19世紀中期の建築と推定される[1]。
- 穀倉
- 櫓台
- 竹が岡八幡宮
- 土地 - 石垣・堀・土塁・水路・井戸・祀社を含む土地(宅地、山林、田、原野)20,607.15平方メートルが、建物とともに重要文化財に指定されている[2]。
脚注
参考文献
- 佐々木正純 編著 『きりゅう百景』 2008年(平成20年)160-161頁、85 彦部家住宅
- 村田敬一『群馬の古建築 ―寺社建築・民家・近代化遺産・その他―』みやま文庫、2002年。
関連項目
外部リンク
- 彦部家屋敷