播磨局
凡例 播磨局 | |
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時代 | 鎌倉時代中期 |
生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
別名 | 大蔵太子[注 1][2]、天草大夫[3] |
氏族 | 大蔵氏流天草氏 |
父母 | 天草種有[2] |
兄弟 | 種秀、種資、播磨局、をくくま[注 2][4] |
子 | 種資[5] |
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播磨局(はりまのつぼね)は、鎌倉時代中期の武家女性。肥前国天草郡の武士・天草種有の嫡子[5]。名は大蔵太子(おおくら の おおいこ)[注 1][2]。
略歴
大宰府在庁官人大蔵氏の流れを持つ父・種有は天草下島の開発領主だったが、貞永2年(1233年)そのうち本領にあたる本砥島(現・熊本県天草市本渡町周辺)の地頭職を嫡女だった播磨局に相続させて、天草氏の惣領とした[2]。弘安4年(1281年)弘安の役の際には播磨局自ら出陣し、諏訪明神の霊験によって武運を得たことから、弘安6年(1283年)諏訪大社より分霊して領内に本渡諏訪神社を建立している[3]。また父の菩提寺としては新開地の亀川に来迎寺を建立し、寺領を寄進している[6]。「領主室」だったらしいが子はなく、弟の種資を養嗣子として天草氏惣領を相続させた[5]。
脚注
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