新井良作

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新井 良作

新井 良作(あらい りょうさく、1879年明治12年)7月14日[1] - 1939年(昭和14年)8月12日[2])は、明治から昭和時代前期の政治家。官選初代熊谷市長。

経歴

熊谷町に生まれる[2]1902年(明治35年)3月に埼玉県大里郡書記、1914年(大正3年)3月に第二課長、1921年(大正10年)6月に熊谷町助役を経て、1929年(昭和4年)10月に同町長に就任する[1]1933年(昭和8年)5月21日に市制施行と同時に官選初代熊谷市長となった[1]

在任中は、市章の制定、市営屠場の開設、畜産の振興などを図った[2]。また、学校看護婦制の新設、市立病院の整備、市立女学校の開設などに尽力した[2]

ほか、義和団の乱日露戦争に従軍した[1]

栄典

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 帝国自治協会 1938, 21頁.
  2. ^ a b c d 埼玉県 1998, 48頁.

参考文献

  • 帝国自治協会 著『全国市長銘鑑 : 自治制実施五十周年記念』帝国自治協会、1938年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1458365 
  • 『埼玉人物事典』埼玉県、1998年。 
官選
旧熊谷市長
  • 新井良作1933.4-1939.5
  • 斎藤茂八1939.6-1942.4
  • 矢島武男1942.4-1945.11
  • 根岸忠1946.1-1947.3
公選
旧熊谷市長
熊谷市長
  • 富岡清2005.11.6-2021.11.5
  • 小林哲也2021.11.6-
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