新登川トンネル
概要 | |
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路線 | 北海道旅客鉄道石勝線 |
位置 | 北海道 |
現況 | 供用中 |
起点 | 北海道勇払郡むかわ町穂別長和 |
終点 | 北海道勇払郡占冠村字ニニウ |
運用 | |
建設開始 | 1966年(昭和41年)3月 |
完成 | 1972年(昭和47年)3月 |
開通 | 1981年(昭和56年)10月1日 |
管理 | 北海道旅客鉄道 |
用途 | 鉄道(在来線) |
技術情報 | |
全長 | 5,825m |
軌道数 | 1(単線) |
軌間 | 1,067mm |
電化の有無 | 非電化(トンネル断面は交流電化対応) |
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新登川トンネル(しんのぼりかわトンネル)は、北海道胆振総合振興局と上川総合振興局を結ぶ北海道旅客鉄道(JR北海道)石勝線の鉄道トンネル(単線)である。
概要
胆振管内の勇払郡むかわ町穂別長和の東オサワ信号場と、上川管内の同郡占冠村字ニニウの清風山信号場の間に位置している。長さは5,825 m[1][2]であり、2016年(平成28年)に北海道新幹線の渡島当別トンネル(8,060 m)が開通するまで交通用の山岳トンネルとしては北海道内で最も長く、青函トンネル開通以前は道内最長の交通用トンネルであった。
日高山脈に沿って南北に走る神居古潭変成帯を貫いており[2]、本トンネルのほぼ中央には約1,200 m にわたる大規模な蛇紋岩帯[3]が分布し、その他周辺に頁岩や粘板岩、輝緑岩が分布するなど、複雑な地質条件を持つ[1][2]。
このため、難工事が予想され、掘削・施工方式を確立するために本工事着手前に試験的な工事を行い基本方針を定めたのち[2]、建設が行われた。
1966年(昭和41年)3月から始まった実際の施工では、蛇紋岩区間で強大な土圧に苦しめられ、支保工は鋼管内にモルタルを填充し、約2倍の強度を出す鋼管支保工を用い、支保工建て込み後にはコンクリートを吹き付け、地山の押出しを拘束する合成支保工とすることで克服した[1][2]。また、他の石勝線のトンネル(登川・長和・鬼峠等)と同様、メタンガスの発生が見られ、換気とメタンガスの測定に注意が払われた[2]。
断面は蛇紋岩区間を中心とする1,166mが円形、その他は特1号型(交流電化に対応する断面)で施工された[1]。
施工は東側(新得方)3,185 m を大成建設、西側(新夕張方)の残りを鹿島建設が担当し[2]、1971年(昭和46年)6月8日に貫通[4]、1972年(昭和47年)3月に完成した[1]。工事費は33億円が投入された[4]。供用は石勝線が全通した1981年(昭和56年)10月1日から行われている。
脚注
- ^ a b c d e 岩田伸雄 (1 1974). “石勝線建設の工事現況”. 建設の機械化 (日本建設機械化協会) (287): pp.11-17. http://jcma.heteml.jp/bunken-search/wp-content/uploads/1974/jcma-1974_01.pdf.
- ^ a b c d e f g 橋本和久・戸田甚平 (1971). “紅葉山線・新登川トンネルの蛇紋岩区間の施工について”. 土木学会 北海道支部 研究発表論文集 (土木学会) (28): pp.45-60. http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00057/1972/28-0045.pdf.
- ^ 乾燥するともろく崩れ、水分を含むと粘土様になる変位性の軟弱質。
- ^ a b 「難工事やっと貫通 道内最長の新登川ずい道」『北海道新聞』1971年6月9日、朝刊。
関連項目
- 穂別トンネル - 神居古潭変成帯を貫く道路トンネル
座標: 北緯42度56分47秒 東経142度16分5秒 / 北緯42.94639度 東経142.26806度 / 42.94639; 142.26806
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