木沢相政
凡例 木沢 相政 | |
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時代 | 戦国時代 |
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 孫四郎、山城守[1] |
主君 | 畠山在氏・細川晴元 |
氏族 | 木沢氏 |
父母 | 父:木沢長政、母:三好政長親類[2] |
兄弟 | 孫九郎(大和守)[1]、相政 |
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木沢 相政(きざわ すけまさ)は、戦国時代の武将。木沢長政の子。通称は山城守[1]。
概要
天文11年(1542年)3月17日に木沢長政が太平寺の戦いで戦死すると、母方の親族であった三好政長の庇護下に入った[2]。
天文16年(1547年)以降は兄の孫九郎(大和守)と共に細川晴元方の武将として細川氏綱や遊佐長教と争っている[1]。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d 馬部隆弘「木沢長政の墓と遺族の動向」『八尾市立歴史民俗資料館研究紀要』28号、2017年。 /所収:馬部隆弘『戦国期細川権力の研究』吉川弘文館、2018年、413-424頁。ISBN 978-4-642-02950-6。
- ^ a b 山下真理子「天文期山城国をめぐる三好宗三の動向 : 山城守護代的立場の木沢長政と比較して」『地方史研究』(地方史研究協議会、2017年)