東岡遊廓

画像提供依頼:大和郡山市東岡町の風景の画像提供をお願いします。2024年2月

東岡遊廓[1](ひがしおかゆうかく)は奈良県生駒郡郡山町字東岡(現・大和郡山市東岡町)にかつて存在した遊廓

概要

1930年昭和5年)に出版された『全国遊廓案内』によると、遊廓は奈良県生駒郡郡山町字東岡(現・大和郡山市東岡町)にあって、関西線郡山駅の東南約7丁の地点に当っていて、乗合自動車の便もあり郡山停留場から南へ約3丁であるという[1]

その当時、揚屋(貸座敷)は21軒あって娼妓は190人おり、すべて大阪式で置屋から娼妓を揚屋へ呼んで遊ぶことができた[1]。従って廻しは一切取らずに全部時間制、または仕切制になっていた[1]。午前8時から正午までは5円、正午から日没までは7円、日没から12時までは7円、12時から翌朝7時までが6円だった[1]

この辺では一帯に娼妓のことを「おやま」、「子供衆」と呼んでいた[1]。妓楼は旭楼、今村、竹島、藤近、千歳、大阪楼、都楼、笹の屋楼、壽楼、岡吉楼、ヨカロー、揚喜楼、御多福楼、河卯楼、寶山楼、駒川楼、恵美須、第三清月、錦水楼、清月楼等がある[1]

なお、戦前、奈良県内にあった遊廓は奈良市の「木辻」、大和郡山市の「洞泉寺」、同市の「東岡」の3箇所だけである[2]

遺構等

周辺地域の木造建物は解体が進んでおり、2024年(令和6年)には東岡町に残っていた象徴的な木造3階建ての建物につき倒壊の危険性があることから空き家対策特別措置法に基づく特定空き家に認定され、年内にも行政代執行で取り壊されることになった[3]

脚注

  1. ^ a b c d e f g 『全国遊廓案内』353 - 354頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年6月2日閲覧。
  2. ^ 旧川本邸源九郎稲荷神社公式サイト。2020年6月2日閲覧。
  3. ^ “明治期の遊郭の象徴だった建物解体へ 「特定空き家」に認定 奈良”. 毎日新聞. (2024年7月30日). https://mainichi.jp/articles/20240730/k00/00m/040/361000c 2024年7月31日閲覧。 

参考文献

  • 『全国遊廓案内』日本遊覧社、1930年。
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