栗田勤
栗田 勤(くりた いそし[1]、安政4年8月9日(1857年9月26日)[2] - 昭和5年(1930年)10月15日)は、明治・大正時代に活動した歴史学者、漢学者。号は晦屋(かいおく)[3]。
常陸国笠間(現・茨城県笠間市)の士族・亀井家(栗田寛の兄)の子として生まれ、後に寛の養子となる[3][2]。家塾輔仁学舎(かじゅくほじんがくしゃ)[4]に学び、のちその塾頭として教育に尽力した。寛の事業『大日本史』「表」、「志」の編纂・校訂を継いで、明治39年(1906年)にこれを完成させた。昭和3年(1928年)、『大日本史』編纂の功績により勲六等瑞宝章を受章した[2]。墓所は水戸市六地蔵寺。
長男は栗田五百枝(岩手県書記官・学務部長)[5]、次男は栗田健男(海軍中将)[6]、三男は蔭山秋穂(茨城県立図書館長)[7]。
著書に『水戸学本義』『水藩修史事略』など[8]。
脚注
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