桂文慶

かつら 文慶ぶんけい
桂(かつら) 文慶(ぶんけい)
桂派定紋「結三柏結三柏」
本名 田中 六太郎
別名 赤鼻の六さん
入谷の赤顔
生年月日 1872年6月21日
没年月日 1941年
師匠 三代目春風亭柳枝
三代目柳家小さん
四代目橘家圓蔵
八代目桂文治
名跡 1.春風亭楽枝
(1890年 - 1894年)
2.柳家三太楼
(1894年 - ?)
3.柳家小はん
(不詳)
4.柳家燕花
(1899年頃)
5.地獄亭圓魔
(不詳)
6.鉄扇楼鼠遊
(不詳)
7.橘家百々蔵
(不詳)
8.橘家花圓蔵
(? - 1915年)
9.橘家圓幸
(1915年 - 1919年)
10.橘家圓光
(1919年 - 1920年)
11.橘家すゞめ
(1920年)
12.橘家圓幸
(1920年 - ?)
13.桂市兵衛
(? - 1925年)
14.桂文慶
(1925年 - ?)
15.桂圓峰
(? - 1935年)
16.桂文慶
(1935年 - 1940年頃)
活動期間 1890年 - 1940年頃
活動内容 落語家
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桂 文慶(かつら ぶんけい、1872年明治5年〉6月21日 - 1941年昭和16年〉前後)は、落語家

経歴

1890年、三代目春風亭柳枝の門で春風亭楽枝。1894年頃、三代目柳家小さんの門で柳家三太楼から柳家小はんとなる。そして両師の初名である柳家燕花と改名。1899年にこの名前で上方に巡業に行った記録が残る。

さらに地獄亭圓魔、鉄扇楼鼠遊等の風変わりな名を名乗り、明治40年代には四代目橘家圓蔵一門に移籍。百々蔵から橘家花圓蔵を襲名。1915年に橘家圓幸に改名し真打昇進。1919年に圓光と字を改める。翌1920年すゞめと改名するもまもなく圓幸に復名。その後桂市兵衛となる。

さらに1925年に八代目桂文治一門に入り、文慶から昭和に入り圓峰、1935年頃には再び文慶となる。

没年は不明だが、1939年ごろまで顔付に見え昭和15年、16年頃死去したと思われる。

人物

並外れた女好きで「赤鼻の六さん」や「入谷の赤顔」とあだ名された名物男。

出典

  • 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X
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