永沢三郎
永沢 三郎 | |
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生誕 | 1890年10月11日 日本 岩手県 |
死没 | (1961-01-02) 1961年1月2日(70歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1913年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
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永沢 三郎(ながさわ さぶろう、1890年(明治23年)10月11日[1] - 1961年(昭和36年)1月2日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
1890年(明治23年)に岩手県で生まれた[1]。陸軍士官学校第25期卒業[1]。1939年(昭和14年)3月に陸軍歩兵大佐に進級と同時に陸軍歩兵学校教官に就任した[2]。同年8月に近衛歩兵第5連隊長を経て[2]、1941年(昭和16年)に東部軍司令部附となり[2]、慶應義塾大学に配属された[2]。
1943年(昭和18年)、陸軍少将に進級と同時に豊橋陸軍予備士官学校長に就任した[1][2]。1944年(昭和19年)7月5日に東部軍司令部附を経て[3]、7月14日に独立混成第67旅団長となり、八丈島の警備に当たった[1]。1945年(昭和20年)、陸軍中将に進級と同時に第221師団長に親補され[1][2]、茨城県鹿嶋で部隊編成中に終戦を迎えた[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。
脚注
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- ^ a b c d e f g h 福川 2001, 510頁.
- ^ a b c d e f 外山 1981, 337頁.
- ^ 「第130号 昭和19年7月8日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120913500
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」106頁。