源義経に関する史跡・祭祀一覧

源義経 > 源義経に関する史跡・祭祀一覧

源義経に関する史跡・祭祀一覧(みなもとのよしつねにかんするしせき・さいしいちらん)

史跡

  • 義経神社北海道平取町)もとは幕吏近藤重蔵らが勧請、義経の木像を奉納したとされる。現社殿の造営・遷座は1961年。
  • 義経寺(青森県東津軽郡外ヶ浜町)義経が津軽海を渡る為に祈祷をし、竜馬を与えられ渡海できたと伝えられている。
  • 黒森山(九郎森山)(岩手県宮古市横山八幡宮鈴木三郎重家はこの地に残り義経一行の旅を祈った。
  • 判官神社(岩手県宮古市箱石)義経を奉る神社。義経が彫ったとされる木彫りの像が奉られている。
  • 赤沢地区(岩手県紫波郡紫波町)義経が馬術の修業を積んだ伝説が残る。
  • 重染寺五輪塔(岩手県奥州市江刺)義経と忠臣鈴木三郎重家の菩提を弔おうと、重家の息子、小太郎重染が建てた重染寺にある供養塔。
  • 正法寺(岩手県奥州市水沢)義経が歩くのに刀で刈り払って通ったため、片側のみにしか葉が茂らなくなったという「片葉の葦」の言い伝えがある。
  • 雲際寺(岩手県奥州市衣川)自害直後の義経一家の遺体が運び込まれたとされ、義経夫妻の位牌が安置されていた。
  • 接待館遺跡(岩手県奥州市衣川)義経が自害した衣川館の疑定地。
  • 束稲山(岩手県奥州市/一関市/平泉町)山頂近くに義経の馬の蹄の跡が残る馬蹄石がある。
  • 高館義経堂(岩手県平泉町)義経最期の場所とされる高舘に堂が建てられ、木造の義経像が安置されている。
  • 金鶏山(岩手県平泉町)義経妻子の墓と伝わる五輪塔がある。
  • 大夫黒顕彰碑(岩手県一関市千厩町藤原秀衡が贈った義経の愛馬「大夫黒」の顕彰碑。
  • 判官森宮城県栗原市) 義経の胴体が葬られたとされる。
  • 亀割峠(山形県最上郡最上町/新庄市)義経の北の方が若君を出産したと伝えられる。
  • 鼠ヶ関(山形県鶴岡市)義経が奥州への逃避の際に上陸した地とされる[1]
  • 九郎明神社 (神奈川県川崎市) 義経が奥州から黄瀬川の陣に駆けつける際に一夜を過ごし、この地の豪族が源平合戦に従軍したとされる。
  • 満福寺(神奈川県鎌倉市)義経が腰越状を書いたとされる寺。
  • 白旗神社(神奈川県藤沢市) 義経の首が葬られたとされる。義経首洗井戸がある。
  • 義経岩(富山県高岡市) 義経伝説の残る大岩。
  • 鏡の宿滋賀県竜王町平治物語で義経元服の地とされる。
  • 鞍馬山(京都市左京区) 稚児として預けられた鞍馬寺、天狗修行の伝承がある僧正ヶ谷などがある。
  • 大宮神社(大阪府大阪市旭区)平家追討の後、義経によって建立された神社。
  • 吉水神社奈良県吉野町頼朝の追手から逃れる義経が静御前弁慶等と共に隠れ住んだ神社。
  • 源九郎稲荷神社奈良県大和郡山市
  • 大山祇神社愛媛県今治市)義経奉納と伝わる国宝・赤糸威鎧がある。
  • 大歳神社(山口県下関市)壇ノ浦の戦いにおける義経の戦勝祈願を由来とする神社。
  • 岡城址(大分県竹田市緒方惟栄が義経を迎えるために築いたとされる城址。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ “いま、山形から・・・ 鼠ヶ関”. 山形県 (2016年6月3日). 2019年5月6日閲覧。