畠中君代

畠中 君代(はたなか きみよ、 1944年7月 - )は、日本の元テニス選手。現在、明治大学評議員。

概要

  • 富士見ヶ丘高校時代に軟式テニス(ソフトテニス)でインターハイ優勝。
  • 1966年 明治大学在学時、ソフトテニスインカレ優勝後に硬式テニスに転向。硬式テニスでもインカレに優勝。
  • 1968年 明治大学文学部地理学専攻卒業。プロ・テニスプレイヤーとなる。
  • 1969年 全米オープン出場
  • 1970年 全仏オープン出場
  • 1970年 ウィンブルドン出場[1]
  • 1977年 全仏オープン出場
  • 1974年 テヘラン・アジア大会複混合銅メダル。
  • 1978年 バンコク・アジア大会複銀メダル、混合銅メダル。

引退後、ビッグKテニススクール創設[2]

主要な育成選手に望月寛子、宮内美澄窪田二葉小畑沙織、 占部奈美、栗岡聡子、青山香織、高瀬礼美、瀬間友里加瀬間詠里花、井上万里、飯島久美子、手塚玲美、江口実沙、伊藤夕季、謝淑薇など。

脚注

  1. ^ “畠中 君代”. 日本テニス協会. 2022年5月6日閲覧。
  2. ^ 松葉 襄 (2019年8月15日). “荻窪の経済人(18)株式会社 ビッグKテニス 代表取締役社長 畠 中 君 代 氏 | 荻窪百点.com”. 荻窪百点.com. 2022年5月6日閲覧。[リンク切れ]
男単 | 男複 • 女複 • 混複
20・30年代
  • (1924年)鴨井一枝&小林春子
  • (1925年・26年)羽山住江&安宅登美子
  • (1927年・28年)滝口澪子&飯村敏子
  • (1929年)朝吹磯子&小林知子
  • (1930年)戸田定代&増田登志江
  • (1931年)滝口澪子&小林知子
  • (1932年)中村千賀&棚橋糸子
  • (1933年)立花文子&林美喜子
  • (1934年・35年)岡田早苗&山岸久子
  • (1936年)佐々倉久美&原田美智子
  • (1937年)戸田定代&マリー・ホーン
  • (1938年)大浦直子&原久子
  • (1939年)木全豊子&沢田佳
40・50年代
60・70年代
  • (1960年-62年)宮城黎子&福井昭子
  • (1963年)小幡陽子&空野桂子
  • (1964年)ヘルガ・シュルツェ&マーゴット・シュルツェ
  • (1965年)太田智恵子&風呂本操
  • (1966年・67年)小幡陽子&後神澄江
  • (1968年)畠中君代&飯田藍
  • (1969年)畠中君代&村上智佳子
  • (1970年)キャスリーン・ハーター&エヴァ・ルンドクイスト
  • (1971年・72年)畠中君代&村上智佳子
  • (1973年)沢松和子&福岡加余子
  • (1974年)飯田藍&野村貴洋子
  • (1975年)楊正順&雀景美
  • (1976年)佐藤直子&中川清美
  • (1977年)塚本国代&中川清美
  • (1978年)畠中君代&米沢そのえ
  • (1979年)塚本国代&中川清美
80・90年代
00・10年代
男単 •女単 | 男複 • 混複