鄭萬鈞

鄭 萬鈞(郑万钧、Zhèng Wànjūn、Wan Chun Cheng、1908年6月24日 - 1987年7月25日)は中国植物学者林学者 である[1]

略歴

江蘇省徐州市の商人の家に生まれた。フランス系の専門学校、江蘇省立第一農業学校を卒業後、錢崇澍の推薦で国立東南大学に進んだ。樹木学の助手を務めた。1929年から1939年の間、中国科学社生物研究所の研究員となり、中国森林の調査を行った。1939年にフランス、トゥールーズの森林研究所に派遣され、博士号を取得した。帰国後、雲南大学(1939-1944)、国立中央大学(後の南京大学)(1944-1849)の教授を務めた。1948年に胡先驌とともに当時、絶滅した種とされていたメタセコイアの現生種の発見を発表し、話題となった。1949年から南京大学教授などを務めた。「中国植物誌」の第7巻の編集、「中国樹木誌」1巻、2巻の編集を行った。

ビャクシン属の種Juniperus chengiiJuniperus pingiiの変種)に献名された。

W.C.Chengは、植物の学名命名者を示す場合に鄭萬鈞を示すのに使われる。命名者略記を閲覧する/IPNIでAuthor Detailsを検索する。)

脚注

  1. ^ http://www.cvh.org.cn/db/data_author/data_index.php?id=1

参考文献

  • 中国林学会:郑万钧先生生平
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学術データベース
  • International Plant Names Index