野内
野内 | |
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野内駅 | |
野内 野内の位置 | |
北緯40度51分19秒 東経140度49分43秒 / 北緯40.85528度 東経140.82861度 / 40.85528; 140.82861 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 青森県 |
市町村 | 青森市 |
地区 | 東部地区 |
人口 | |
• 合計 | 1,379人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 | 039-3503[2] |
市外局番 | 017[3] |
ナンバープレート | 青森 |
野内(のない)は、青森県青森市の大字である。もとは、青森県東津軽郡野内村の大字。
地理
青森平野の北東のはずれの海岸沿いから、その東・南東にある山地に続く地域。元々、農漁村であるが、住宅地も見られる。
集落は、地域の西部、野内川と貴船川の間の、青森県道259号久栗坂造道線沿いを中心に広がっている。
南西部の青森県道123号清水川滝沢野内線沿いに運送会社の営業所がある。
東部は、久栗坂と並んで石切場がみられる。
また、中部から東部にかけての海岸部には、石油やLPGのタンクが見られ、各地に石油製品を輸送する拠点となっている。
小字に菊川・山王林・小笹・浦島・大林・鈴森がある。
河川
- 野内川 - 野内の西端、原別との境を流れる。
- 貴船川 - 集落の北側を流れる。
歴史
地名の由来はアイヌ語の「ノプ・ナイ」、「野原の沢」に由来するものとみられる。
藩政時代には弘前藩が野内番所を設置し、通行人の検問を行っていた。
明治期から昭和40年代にかけては、石材のほか、石油等鉱産資源の集散地でもあった。詳細は野内駅も参照のこと。
年表
- 1889年(明治22年) - 村制が施行され、野内村の大字となる。
- 1906年(明治38年) - 英国のサミュエル商会が石油タンク4基を字 菊川(旧野内駅北側の海岸付近)に設置。北日本等各地への輸送の拠点とした[4]。
- 1948年(昭和23年)4月24日 - 東北本線野内川鉄橋上で23両編成の貨物列車が脱線。機関車と貨車20両が川に転落して乗員2人死亡、1人重傷[5]。
- 1962年(昭和37年) - 青森市の大字となる。
世帯数と人口
2022年(令和4年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
大字野内字菊川 | 602世帯 | 1,214人 |
大字野内字鈴森 | 46世帯 | 87人 |
大字野内字浦島 | 38世帯 | 68人 |
大字野内字山王林 | 4世帯 | 7人 |
大字野内字大林 | 1世帯 | 3人 |
計 | 691世帯 | 1,379人 |
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
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全域 | 青森市立野内小学校 | 青森市立東中学校 |
交通
鉄道
バス
道路
施設
- 野内漁港
- 青森市立野内小学校
脚注
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※地域区分(地区区分表・地区区分図で使用されているもの)ごとに表示する。 | |
東地区 | |
中心地区 | 青柳 | 奥野 | 勝田 | 新町 | 中央 | 堤町 | 長島 | 橋本 | 古川 | 本町 | 松原 | 安方 | 柳川 | 篠田 | 千刈 |
南地区 | |
西地区 | |
東部地区 | 浅虫 | 泉野 | 後萢 | 久栗坂 | 三本木 | 平新田 | 滝沢 | 野内 | 馬屋尻 | 宮田 | 矢田 | 八幡林 | 桑原 | 沢山 | 諏訪沢 | 築木館 | 戸崎 | 戸山 | 赤坂 | 蛍沢 | 月見野 |
南東部地区 | 牛館 | 大矢沢 | 幸畑 | 合子沢 | 新町野 | 田茂木野 | 野尻 | 雲谷 | 横内 | 四ツ石 | 駒込 |
西部地区 | 岩渡 | 鶴ケ坂 | 戸門 | 孫内 |
南部地区 | 荒川 | 上野 | 大谷 | 大別内 | 小畑沢 | 金浜 | 小館 | 高田 | 入内 | 野木 | 野沢 | 細越 | 八ツ役 |
北部地区 | 飛鳥 | 後潟 | 内真部 | 奥内 | 小橋 | 四戸橋 | 清水 | 瀬戸子 | 西田沢 | 左堰 | 六枚橋 | 前田 |
浪岡地区 | 相沢 | 王余魚沢 | 北中野 | 吉内 | 郷山前 | 五本松 | 下石川 | 下十川 | 銀 | 杉沢 | 大釈迦 | 高屋敷 | 樽沢 | 徳才子 | 長沼 | 浪岡 | 細野 | 本郷 | 増館 | 女鹿沢 | 吉野田 | 福田 |
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