高畠五郎

高畠 五郎(たかばたけ ごろう、文政8年5月5日(1825年6月20日) - 明治17年(1884年9月4日)は、幕末明治蘭学者。西洋兵学、砲術を研究。姓は、幼名玖二五郎。維新後、眉山。諱は道憲。高畠耕斎の弟。父は阿波国蘭方医徳島藩藩医の高畠深造。母は斉藤氏鷹。

生涯

出自

阿波国徳島に生まれる。

蘭学修行

幕臣として

新政府に出仕

エピソードなど

  • 慶応3年(1867年)、幕府が弱体化すると言うアーネスト・サトウに対し、長野桂次郎立石斧次郎)とともに反論した。[7]
  • 福翁自伝』には、生麦事件の公文書を福沢諭吉杉田玄端、高畠五郎で翻訳したこと[8]、福沢が高畠に居合いを見せた話が載っている[9]
  • 福翁百餘話』には、高畠の紹介で阿波藩主に福澤が会ったことが書かれている[10]
  • 赤松範一によると、15~6歳の頃、父則良に命じられて赤坂新町の高畠邸に行くと、当時としては珍しいキャベツその他の洋種野菜類を廷内に栽培されていた。時にこれを範一経由で則良に送っていた。
  • 自筆日記[11]によると、明治後における著名な交友は栗本鋤雲勝海舟市川兼恭津田真道榎本武揚澤太郎左衛門赤松則良西成度乙骨太郎乙宮本小一郎ら。[12]
  • 古賀謹一郎の長崎交渉に随行し、中山道の難路で「人は両足、馬は四足」と言って一人馬から降りなかった[13]
  • 高畠は古賀謹一郎の最も気の合った弟子だった。二人の仲は死ぬまで親善で、1884年(明治17年)8月20日には高畠が暑中見舞いに訪れ、長茄子、南瓜、球形の白甜瓜などを持参。二週間後に脳溢血で高畠が亡くなったため、古賀は衝撃を受けたという。[14]

著書

  • 『交戦条規約説』[15]

脚注

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  1. ^ 伊東玄沢家塾象先堂の門人姓名録(「伊東玄朴伝」7頁)より。同藩宮崎友三郎が請負人。
  2. ^ 佐久間象山門人帳「及門録」嘉永3年の条に「松平阿波守様御家来高畠五郎」とある。
  3. ^ 蕃書調所職員明細帳
  4. ^ 田村維則『勝海舟伝』
  5. ^ 「シーボルト先生其生涯及功業」156~216頁、『福澤全集』7巻43頁
  6. ^ 成島柳北の『航西日乗』(明治文化全集第16巻、434~439頁)
  7. ^ 外部リンク参照(「トミー 立石斧次郎 長野桂次郎 をひ孫が紹介 HOWDY TOMMY」)
  8. ^ 福翁自伝』 - 「攘夷論」 - 「英艦来る」
    その手紙の来たのがその歳の二月十九日、長々とした公使の公文が来た。その時に私共が翻訳する役目に当っているので、夜中に呼びに来て、赤坂に住まっている外国奉行松平石見守の宅に行ったのが、私と杉田玄端、高畠五郎、その三人で出掛けて行って、夜の明けるまで翻訳したが、これはマアどうなることだろうか、大変なことだと窃に心配した…
  9. ^ 福翁自伝』 - 「雑記」 - 「暗殺の心配」
    ある日、本郷に居る親友高畠五郎を訪問していろいろ話をしている中に、不図気が付いてみると恐ろしい長い刀が床の間に一本飾ってあるから、私が高畠に向かって、あれは居合刀のようだが何にするのかと問えば、主人の言うに、近来世の中に剣術が盛んになって刀剣が行われる、ナニ洋学者だからといって負けることはない、僕も一本求めたのだとリキンデいるから、…
  10. ^ 福翁百餘話』 - 「禍福の発動機」
    この時に当り阿波藩の一友(しかと覚えざれども高畠五郎なりしと思う)余に告げて、足下は試に我藩の主人公に面会する気はなきやと云うに答え、僕は従前自分の藩に居てさえ藩主へは唯一両度例の御目見したるのみにて親しく談話せしことなし、全体僕の生来大名は嫌にて、誰れにも余り多く面会せざれども、…
  11. ^ 明治13年のみ(子孫所蔵)
  12. ^ 幕末洋学史の研究、332頁
  13. ^ 古賀謹一郎 ―万民の為、有益の芸事御開、56頁
  14. ^ 古賀謹一郎 ―万民の為、有益の芸事御開、263頁
  15. ^ 1880年明治13年)刊行。原著者はオランダ人、ボール・チュガル。

参考文献

  • 原平三『幕末洋学史の研究』1992年。ISBN 978-4-40-401900-4。 ASIN 4404019009
  • 『続 洪庵・適塾の研究』思文閣出版、2008年。ISBN 978-4-78-421388-7。 ASIN 4784213880
  • 小野寺龍太『古賀謹一郎 ―万民の為、有益の芸事御開』ミネルヴァ書房、2006年。ISBN 978-4-62-304648-5。 ASIN 4623046486
  • 神河庚蔵『阿波国最近文明史料』臨川書店、1973年。 
  • 飯田義資『高畠五郎日記』徳島県立図書館、1955年。 

関連項目

外部リンク

  • デジタル版 日本人名大辞典+Plus『高畠五郎』 - コトバンク
  • 混沌の中の開成所 - 宮地正人
  • 『蕃書調所職員明細帳』1861年。 NDLJP:3860353
  • トミー 立石斧次郎 長野桂次郎 をひ孫が紹介 HOWDY TOMMY - 1861年 ~ 徳川幕府に仕えた時代 - ウェイバックマシン(2010年9月24日アーカイブ分)
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