松島肇
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松島 肇(まつしま はじめ、1883年2月20日 - 1961年4月15日)は、日本の外交官。
経歴
長野県上伊那郡手良村(現伊那市)に生まれる。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、第一高等学校を経て、東京帝国大学政治科を卒業後、外務省に入省。ハルビン総領事、一等書記官などを経て、1921年ウラジオストク派遣軍政務部長を命じられる。ロシア外交の艱難な局面に当たり、途絶していた日露通商再開の途を開いた。1923年フランス駐在、1928年ポーランド特命全権公使、1931年外務省欧米局長、1932年イタリア特命全権大使を歴任した。
参考文献
- 『信濃の誇り』進脩社、1932年
- 『長野県歴史人物大事典』 郷土出版社、1989年
在イタリア日本大使(1932年-1934年) | |
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弁理公使(ウィーン駐在) | |
全権公使(ローマ駐在) | |
全権大使(ローマ駐在) | |
全権大使(ヴェネツィア駐在) |
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在外事務所長(ローマ駐在) |
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全権大使(ローマ駐在) |
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外務省欧米局長 (1931年-1932年) | |
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在ポーランド日本公使 (1928年-1931年) | |
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