1926年のル・マン24時間レース
1926年のル・マン24時間レース | |||
前年: | 1925 | 翌年: | 1927 |
1926年のル・マン24時間レース(24 Heures du Mans 1926 )は、4回目[1]のル・マン24時間レース[2][3]であり、1926年6月12日から6月13日にかけてフランスのサルト・サーキットで行われた。
概要
出走したのは41台[1][4]。
大幅に性能を上げた3リットルスーパースポーツモデルを1台とスピードモデルを2台持ち込んだベントレー[3]、地元フランス有名メーカーのプジョー[3]、去年優勝し実績のあるロレーヌ・ディートリッシュ[3]の戦いになった。
ベントレーは8号車スピードモデルが72周目1242.864km走ったところでエンジンバルブ損傷でリタイヤ[2]、9号車スーパースポーツモデルが105周目1812.510km走ったところでエンジンバルブ損傷でリタイヤ[2]、7号車スピードモデルは23時間138周2382.156km走ったところでミュルサンヌコーナーで横滑りし土手に激突してリタイヤとなった[2]。
完走は13台[1][4]。
ロベール・ブロッシュ(Robert Bloch )[1]/アンドレ・ロシニョール(André Rossignol )組[1]のロレーヌ・ディートリッシュ[2][1]が24時間で2552.414km[1][2][4]を平均速度106.350km/h[1][2][注釈 1]で走り、1925年に続いて優勝[1][2]した。しかしヨーロッパには不況の波が押し寄せてどこのメーカーでもレースどころではなくなりつつあり、連覇したロレーヌ・ディートリッシュもこの年限りで参戦を取りやめた[3]。
注釈
- ^ 総合優勝車の平均速度が100km/hを超えたのは初めて。
出典
[脚注の使い方]
- ^ a b c d e f g h i 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』p.223「資料1」。
- ^ a b c d e f g h 『ル・マンの英国車』p.8「1926」。
- ^ a b c d e 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』pp.27-154「ルマン24時間レースの歴史」。
- ^ a b c 『ル・マン 偉大なる草レースの挑戦者たち』pp.298-303。
参考文献
- 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』グランプリ出版 ISBN 4-87687-161-2
- ドミニク・パスカル著、日沖宗弘訳『ル・マンの英国車』ネコ・パブリッシング ISBN 4-87366-068-8
- 黒井尚志『ル・マン 偉大なる草レースの挑戦者たち』集英社 ISBN 4-08-780158-6
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