1973年の南海ホークス
1973年の南海ホークス | |
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成績 | |
日本シリーズ敗退 1勝4敗(対巨人)[1] パシフィック・リーグ優勝 プレイオフ:3勝2敗(対阪急) レギュラーシーズン 年間成績:68勝58敗4分 勝率.540 後期3位:30勝32敗3分 勝率.484 前期優勝:38勝26敗1分 勝率.594[2] | |
本拠地 | |
都市 | 大阪府大阪市浪速区 |
大阪球場 | |
球団組織 | |
オーナー | 川勝傳 |
経営母体 | 南海電気鉄道 |
監督 | 野村克也 |
« 1972 1974 » | |
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1973年の南海ホークスでは、1973年の南海ホークスの動向をまとめる。
この年の南海ホークスは、野村克也選手兼任監督の4年目のシーズンであり、1966年以来、7年ぶり12度目のリーグ優勝に輝いたシーズンである。
概要
このシーズンからパリーグでは前後期の2シーズン制が導入され、前期は南海がロッテとのデッドヒートを制して優勝し、後期は阪急が優勝。前年オフに富田勝を放出して巨人とのトレードで獲得した新戦力山内新一が20勝8敗防御率3.30(前期14勝、後期6勝)、松原明夫が7勝7敗防御率2.87と活躍した。後期の南海は対阪急0勝12敗1分と全く振るわなかった。両者対決のプレーオフでは誰もが阪急有利と見ていたが、ここで南海は意地を見せ3勝2敗で乗り切って見事リーグ優勝を決めた。余りに予想外の出来事に「死んだふり優勝」とも言われたが、野村監督は「死んだふりではない。それだけ阪急とは力の差があっただけだ」と振り返っている[3]。南海のシーズン勝率は3位で、パリーグ2シーズン制の10年間で3位以下のチームが優勝したのはこの年の南海だけである[4]。なお同年の日本シリーズでは川上哲治監督率いる巨人との対戦となったが、初戦を勝った以外打線が巨人投手陣に封じられ、さらにエラーなどから失点を重ねるなど投打ともに精彩を欠き1勝4敗で敗退[5]。野村監督が日本シリーズで胴上げされるのは、それから20年後の1993年にヤクルトの監督として当時日本シリーズで無敗だった西武を4勝3敗で破るまで待たなければならなかった。野村監督と当時の愛人だった沙知代夫人との間にこの年、待望の長男・野村克則が大阪で誕生した。
チーム成績
レギュラーシーズン
1 | 中 | 島野育夫 |
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2 | 二 | 桜井輝秀 |
3 | 一 | スミス |
4 | 捕 | 野村克也 |
5 | 左 | ジョーンズ |
6 | 右 | 門田博光 |
7 | 遊 | 佐野嘉幸 |
8 | 三 | 藤原満 |
9 | 投 | 江本孟紀 |
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順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 南海ホークス | 68 | 58 | 4 | .540 | 優勝 |
2位 | 阪急ブレーブス | 77 | 48 | 5 | .616 | -9.5 |
3位 | ロッテオリオンズ | 70 | 49 | 11 | .588 | -5.5 |
4位 | 太平洋クラブライオンズ | 59 | 64 | 7 | .480 | 7.5 |
5位 | 日拓ホームフライヤーズ | 55 | 69 | 6 | .444 | 12.0 |
6位 | 近鉄バファローズ | 42 | 83 | 5 | .336 | 25.5 |
*優勝はプレーオフで決定。3位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定 [2]
プレーオフ
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
10月19日(金) | 第1戦 | 阪急ブレーブス | 2 - 4 | 南海ホークス | 大阪球場 |
10月20日(土) | 第2戦 | 阪急ブレーブス | 9 - 7 | 南海ホークス | |
10月21日(日) | 第3戦 | 雨天中止 | 阪急西宮球場 | ||
10月22日(月) | 南海ホークス | 6 - 3 | 阪急ブレーブス | ||
10月23日(火) | 第4戦 | 南海ホークス | 1 - 13 | 阪急ブレーブス | |
10月24日(水) | 第5戦 | 南海ホークス | 2 - 1 | 阪急ブレーブス | |
年間優勝:南海ホークス |
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日本シリーズ
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
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10月27日(土) | 第1戦 | 読売ジャイアンツ | 3 - 4 | 南海ホークス | 大阪球場 |
10月28日(日) | 第2戦 | 読売ジャイアンツ | 3 - 2 | 南海ホークス | |
10月29日(月) | 移動日 | ||||
10月30日(火) | 第3戦 | 南海ホークス | 2 - 8 | 読売ジャイアンツ | 後楽園球場 |
10月31日(水) | 第4戦 | 南海ホークス | 2 - 6 | 読売ジャイアンツ | |
11月1日(木) | 第5戦 | 南海ホークス | 1 - 5 | 読売ジャイアンツ | |
優勝:読売ジャイアンツ(9年連続17回目) |
オールスターゲーム1973
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できごと
選手・スタッフ
南海ホークス 1973 | |
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監督 | 19 野村克也(選手兼任) |
コーチ | |
二軍監督・コーチ | |
投手 | |
捕手 | |
内野手 | |
外野手 |
表彰選手
リーグ・リーダー | ||
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選手名 | タイトル | 回数 |
野村克也 | 最優秀選手 | 7年ぶり5度目 |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
野村克也 | 捕手 | 4年連続17度目 |
桜井輝秀 | 二塁手 | 初受賞 |
ダイヤモンドグラブ賞 | ||
選手名 | ポジション | 回数 |
野村克也 | 捕手 | 初受賞 |
ジョーンズ | 一塁手 | 初受賞 |
桜井輝秀 | 二塁手 | 初受賞 |
島野育夫 | 外野手 | 初受賞 |
ドラフト
順位 | 選手名 | ポジション | 所属 | 結果 |
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1位 | 藤田学 | 投手 | 南宇和高 | 入団 |
2位 | 山倉和博 | 捕手 | 東邦高 | 拒否・早稲田大学進学 |
3位 | 河埜敬幸 | 内野手 | 八幡浜工業高 | 入団 |
4位 | 平山正人 | 投手 | PL学園高 | 拒否・新日鐵堺入社 |
脚注
注釈
出典
« 19721973年の日本プロ野球1974 » | |||||||
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セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | ||||||
優勝 | 読売ジャイアンツ | 2位 | 阪神タイガース | 優勝 | 南海ホークス | 2位 | 阪急ブレーブス |
3位 | 中日ドラゴンズ | 4位 | ヤクルトアトムズ | 3位 | ロッテオリオンズ | 4位 | 太平洋クラブライオンズ |
5位 | 大洋ホエールズ | 6位 | 広島東洋カープ | 5位 | 日拓ホームフライヤーズ | 6位 | 近鉄バファローズ |
:日本一 :前期優勝・日本シリーズ出場 :後期優勝(パ・リーグ) | |||||||
各年の福岡ソフトバンクホークス | |
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1930年代 | |
1940年代 | |
1950年代 | |
1960年代 | |
1970年代 | |
1980年代 | |
1990年代 | |
2000年代 | |
2010年代 | |
2020年代 | |
1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。 |
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1950年代 | |
1960年代 | |
1970年代 | |
1980年代 | |
1990年代 | |
2000年代 | |
2010年代 | |
2020年代 |
この項目は、野球に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球/P野球)。 |
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