無彊(むきょう)は、中国の戦国時代の越の君主。
越王無顓の弟とされる[1]。無顓8年(紀元前354年)、無顓が死去すると、無彊は越王として即位した[2]。北方の斉や西方の楚と争い、楚軍の侵攻を招いた。無彊21年(紀元前333年)[3]、楚の威王が大軍を動員して越を攻撃し、無彊は敗北し逃亡した。無彊の逃亡後の越では、江南の海浜で諸族の子らが争って立ち、ある者は王となり、ある者は君となり、楚に服属した[4]。