錯枝(さくし)は、中国の戦国時代の越の君主。
越の太子諸咎の子として生まれた。越王翳36年(紀元前375年)7月、越王翳が諸しょ咎きゅうに殺害された。10月、越の人が諸咎と越滑を殺害した。呉の人が錯枝を越王として擁立した。錯枝元年(紀元前374年)、大夫の寺区が越の乱を平定して、無余之を立てた[1]。